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- 前立腺がんの合併症を予防し、治療成績向上にも寄与。
「ハイドロゲルスペーサー」を利用した放射線治療とは?
前立腺がんの合併症を予防し、治療成績向上にも寄与。
「ハイドロゲルスペーサー」を利用した放射線治療とは?
超高齢社会※に突入し、高齢人口が急速に増加している日本において、年齢を重ねることで発症リスクが高まる前立腺がんも増加傾向にあります。早期発見、早期治療ができれば、命を落とすことは少ないとされていますが、一方で放射線治療の合併症として直腸炎などが問題視されてきました。この課題を解決すると期待されているのが、2018年に保険適用となった「ハイドロゲルスペーサー(SpaceOARシステム®)」です。他の医療機関に先駆けてこの新しい技術を取り入れてきた、済生会横浜市東部病院 泌尿器科 医長の小林裕章(こばやしひろあき)先生に、その効果やメリットについて伺いました。
※人口に占める高齢者(65歳以上の人)の割合が21%以上の状態
目次
早期の前立腺がんは手術や放射線治療で根治を目指すが、進行すると薬物療法が中心に
- 国立がん研究センターがん情報サービスの最新がん統計(2016年データ)によると、前立腺がんは、男性のがん罹患者数で第2位※1となっています。まず標準的な治療法について教えていただけますか。
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治療法は、がんが前立腺内にとどまっている(限局性)か、前立腺からはみ出したり転移したりしている(進行性)かによって異なってきます。基本的に、限局性のがんであれば手術や放射線治療で根治を目指し、進行性のがんであればホルモン療法や化学療法などの薬物療法が中心となります。
限局性前立腺がんについては、さらに「がんの広がり具合」「悪性度」「血液検査によるPSA※2の数値」から、「低リスク」「中間リスク」「高リスク」に分類します。成長速度が遅かったり悪さをしないタイプの低リスクのがんには、積極的な治療を行わずに経過観察を行う(PSA監視療法)場合もあります。逆に高リスクの場合には、手術や放射線治療にホルモン療法を組み合わせることも推奨されます。
前立腺がんは、高齢になるにつれて罹患率が急激に高まります。早期に発見できれば根治する可能性が高いため、「死なないがん」ともいわれていますが、進行すると根治が望めないばかりか死に至ることもあります。ほかのがんと同じように早期のうちに発見することが重要です。
※1 国立がん研究センター がん情報サービス
https://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/stat/summary.html※2 PSAとは?
Prostate Specific Antigen(前立腺特異抗原)の略で、前立腺がんに見られる特徴的なタンパク質の一つです。PSAは前立腺がんの有無を調べるための代表的な目印(腫瘍マーカー)の一つであり、がん検診や治療後の効果判定のために、血中のPSA量を調べる検査が行われています。
ロボット支援下手術の導入で、尿漏れや勃起不全の合併症が低減
- がんが前立腺内にとどまっている場合は、手術か放射線治療を選ぶということですが、メリットやデメリット、優位性はあるのでしょうか。
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低リスク、中間リスクの前立腺がんに対しては、手術も放射線もほぼ同等に根治できる力をもっています。それぞれにメリット、デメリットがありますから、どちらが良いかというのは、患者さんの状況や何を希望されるかによって変わってきます。
たとえば、手術は患部を切除してがん全体を調べることができるため、組織の1部分を見る針生検では判明しなかった正確な悪性度などがわかることは大きなメリットです。デメリットは、合併症として尿漏れや勃起不全が起こることがあります。
一方、放射線治療の場合は、体にメスを入れることなく治療が可能となりますから、体への負担や副作用は軽いといえます。治療の合併症としては、放射線が正常な組織に当たって生じるものがあります。放射線が神経を刺激して、治療中や治療直後に頻尿、排尿時の痛み、切迫感などが現れる場合があります。
これらは時間がたつと収まる場合がほとんどですが、長く持続してしまう方も中にはいらっしゃいます。このほかに、治療後2、3年経ってから直腸や膀胱から出血して血便や血尿が続く、放射線性の直腸炎、膀胱炎が起こることがあります。
患者さんには、それぞれの治療法のプラス面とマイナス面を説明して、そのうえでどちらのデメリットなら許容できるかを考えて選択してもらうようにしています。
- QOL(生活の質)を下げないために、どちらを選択すべきか悩まれる患者さんは多いのではないでしょうか。
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たしかに難しい選択ですが、手術も放射線治療もかなり進歩を遂げています。手術でいえば、最近では「ダビンチ手術(ロボット支援下手術)」の導入によって精度の高い手術が可能になり、合併症もかなり抑えられるようになってきています。
以前は術後1年ぐらいまで激しい尿漏れが続くことがありましたが、ダビンチによる手術では、術後3カ月から半年程度で尿漏れパッドが必要なくなる患者さんがほとんどです。最初からまったく尿漏れが起こらない患者さんもいらっしゃいます。
勃起不全については、前立腺の左右にある勃起を司る神経を温存すれば、機能低下はあっても完全に機能を失うことはありません。これも精密な手術ができるようになり機能を温存しながらがんを取り切ることができるようになってきたためです。
放射線治療による直腸炎を防ぐ新技術「ハイドロゲルスペーサー」とは
- 放射線治療による合併症についてはいかがでしょうか。
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近年、注目すべき点は、患者さんを悩ませていた深刻な合併症の1つである直腸炎を防ぐ「ハイドロゲルスペーサー(SpaceOARシステム®)」という技術が開発されたことです。
前立腺は直腸に隣接しているため、前立腺のがんに放射線照射を行うと、どうしても直腸にも一定量の放射線が当たってしまう場合があり、5〜10%程度の患者さんで治療が必要なレベルの直腸炎が起こっていました。
放射線が当たった直腸の組織は変性をきたし、粘膜にむくみや潰瘍(かいよう)が生じたり渦を巻くように異常な形で血管が新生してしまうことがあり、表面の毛細血管が破綻することで出血を起こすのです。放射線性直腸炎が起こる頻度は決して高くありませんが、一度起こってしまうと治癒が難しく、出血を繰り返して患者さんのQOLを著しく下げてしまうことがあります。
「ハイドロゲルスペーサー」は、前立腺と直腸の間にある数ミリほどの筋膜(デノンビリエ筋膜)に針を刺して、ハイドロゲルと呼ばれるゲル状の物質を注入する方法です。
注入したハイドロゲルによって、前立腺と直腸の間に数センチ程度の物理的な隙間ができ、前立腺に放射線を照射しても、直腸には放射線が当たりにくくなるというわけです。
日本放射線腫瘍学会 前立腺がんに対する放射線治療におけるSpaceOAR システムの適正使用指針より
また、副作用の軽減だけでなく、治療効果の面でもメリットが期待できます。従来は正常組織への影響を抑えるために、直腸と接する部分への照射量を控えめにせざるを得ませんでした。
しかし、ハイドロゲルスペーサーを使えば、直腸へのダメージを気にすることなく前立腺全体に思い切って放射線照射ができ、そのぶん治療成績の向上も期待できると考えられます。
アメリカで生まれたこの新技術は2018年に日本でも保険適用※3となりました。当院でもいち早く取り入れて、これまでに約100例実施してきましたが、有用性を実感しています。
※3 保険適用範囲は「放射線治療を行う前立腺がん」
体内・体外どちらからの放射線治療にも使用可能
- ハイドロゲルスペーサーを利用した放射線治療は、どのように行われるのでしょうか?また、体にそうした物質を入れることで、安全性などに問題はないのでしょうか?
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当院の泌尿器科では、密封小線源治療と定位放射線治療の2種類の放射線治療を行っており、両方の治療に「ハイドロゲルスペーサー」を取り入れています。
密封小線源治療とは、チタン製の小さな容器に放射線を出す物質を詰め(小線源)、それを前立腺の中に数十個埋め込んで体内から照射して治療する方法です。小線源を治療計画通りに埋め込んだ後、最後にハイドロゲルを注入します。麻酔含め施術にかかる時間は1時間半から2時間程度です。
密封小線源治療が体の内側から放射線照射を行う治療法であるのに対し、定位放射線治療は体の外部から放射線を照射する外照射療法の1つです。
放射線治療を行う4週程度前に照射の目印となる金製のマーカー(金マーカー)を4個前立腺内に留置する処置を行いますが、その際にハイドロゲルも注入します。麻酔含め施術にかかる時間は30-45分程度です。実際の定位放射線治療は5回の外来通院で行い、無意識な体の動きや呼吸による腫瘍の移動をロボットが自動追尾して、あらゆる方向から放射線照射を行います。
ハイドロゲルはPEG(ポリエチレングリコールエステル化合物)という物質で医薬品や化粧品の材料としても使われている無害な物質です。注入後3~4か月もすると体に吸収され始め、半年から1年ぐらいで、完全に体に吸収されます。
- ハイドロゲルスペーサーは放射線治療を行うすべての患者さんに行えるのでしょうか? 今後の展望などもあればお聞かせください。
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この治療が行えないケースもあります。たとえば前立腺がんを患う以前に直腸の手術をされている方は、デノンビリエ筋膜が切除されていたり、手術操作による癒着でハイドロゲルを注入するスペースがない場合があります。また、がんが直腸側にはみ出している方は、がんが直腸側に移動してしまい放射線が当たらなくなる可能性があります。ただ、そうしたケースを除けば、多くの患者さんで適用可能です。
当院では、命に関わるような高リスクの前立腺がんに対する治療法として「Trimodality(トリモダリティ)」という治療を行っています。「Tri-」は「3つの」という意味で、トリモダリティは「ホルモン療法、密封小線源治療、外照射療法」の3つを組み合わせることで大きな治療効果を狙おうとする治療法です。
まず、ホルモン療法によってがんを小さくして勢いを抑え込み、そのあと密封小線源治療を行い、さらに放射線外照射による追い打ちをかけるという流れになります。今、国内でもこのトリモダリティに関する臨床試験が行われており、良好な治療成績が見込まれています。
ただしこの治療には課題もあります。放射線治療の合併症である放射線性直腸炎の発生率は5〜10%と申し上げましたが、密封小線源治療と外照射療法を併用すると、それが15〜20%に跳ね上がるのです。そこで、この治療にハイドロゲルスペーサーを用いることで、合併症を抑え、かつ強力な治療効果を狙えればと期待しています。
- 画期的な技術だと感じます。こうした新しい治療法によって、治療効果も患者さんのQOLもさらに改善されていくことでしょうね。
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正常な組織に放射線を当たりにくくするために、がん患部と正常な臓器の間に物理的にスペースを作るという発想は、単純なようですがこれまで実用化されていませんでした。素晴らしい発明だと思います。
ただし、こうした有用な技術が出てきたとしても早期発見が大切だということを繰り返しお伝えしておきたいと思います。前立腺がんは、進行するとリンパ節と骨に転移しやすく、腰痛からがんが見つかるケースなどもあります。進行するほど治療の選択肢が狭まり、良い治療法があっても受けられないということにもなりかねません。
適切な時期にしっかり検診を受けて、たとえがんになってもより良い治療を選択し、がんの完治につなげていただきたいと思います。
ポイントまとめ
- 前立腺がんの治療法選択は、がんの広がり、悪性度、血液検査のPSA数値から「低リスク」「中間リスク」「高リスク」に分類し、手術、放射線治療、ホルモン治療などから選択または併用して行う
- 手術では尿漏れや勃起不全、放射線治療では頻尿、尿意切迫感、直腸炎や膀胱炎による出血などの合併症が生じる場合がある
- 前立腺に隣接する直腸に放射線が当たることで、5〜10%程度の割合で直腸炎が起こり、繰り返し血便に悩まされるケースもある
- ハイドロゲルという無害の物質を前立腺と直腸の間に注入することで隙間をつくり、放射線が直腸に当たる量を減らすことで合併症を防ぐ「ハイドロゲルスペーサー」という新技術が2018年に保険適用となり、実際の治療で使用されている
- 「ハイドロゲルスペーサー」を使用することで、直腸に近い患部へも思い切った放射線照射ができるため、治療成績の向上も期待できる
取材にご協力いただいたドクター
小林 裕章 (こばやし ひろあき) 先生
2008年、慶應義塾大学医学部卒。済生会横浜市東部病院泌尿器科医長。特に専門とする分野は、尿路性器癌の診断・治療、前立腺肥大症に対する低侵襲手術治療、尿路結石症、ロボット支援手術。
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