【特集記事】「気持ちのつらさ」は第6のバイタルサイン

公開日:2015年02月02日

目次

「がん患者さんのメンタルケア」

 がん患者さんは一般に、がんの疑いがあることがわかった時点から不安につきまとわれ、検査のたびに緊張し、そして診断を受けると「頭が真っ白になる」ことが多く見受けられます。この病名の告知のときの「悪い知らせ」は、多くのがん患者さんにとって人生における将来への見通しを根底から変えてしまうくらい強い衝撃となるのが普通です。

また治療を受けてがんが治癒しても、「また再発するのではないか」という不安は消えず、常にストレスを抱えながら生きていかなければなりません。それどころか、がんの経過によっては、再発・転移、治療の打ち切り、余命の告知など、死を迎えるまで何度もこの「悪い知らせ」を受け得る機会があります。こうして患者さんががんと向き合うことは、いのちに向き合うことになるのです。

単なる「不安」や「落ち込み」はだれにでもある心の状態であり、このような通常の心理的反応であればすぐに精神的な治療が必要になることはありません。しかし、たとえ治療の必要がない状態でも、その後に精神疾患に発展する可能性はあるため、周囲の見守りが大切です。さらに日常生活に支障が出るほど症状が強ければ、何らかの対策を講じる必要が出てきます。

 

がん患者さんに多く見られる適応障害、うつ病、せん妄

 がん患者さんに合併する主な精神疾患には適応障害、うつ病、せん妄があります。最も多いのは適応障害で、はっきりとした出来事や状況などのストレス因に反応して、情動面に症状が現れます。憂うつな気分や不安感が強くなって、過剰に心配したり、涙もろくなったり、絶望感を抱いたりします。

また、行動面に症状が現れると、日課が普通にできなくなり、ひいては攻撃的な言動をとったりするようなこともあります。ストレスとなる出来事や状況がわかっているので、原因となるものを取り除いたり、そうした環境から離れたりすると症状は改善していきます。しかし、がんの治療中のようにそれができない状況では症状が慢性化することもあります。

一方、抑うつ気分または興味や喜びの著しい減退がほとんど一日中、ほとんど毎日のようにあって、眠れない状態や食欲がない状態が2週間以上続き、それによって日常生活に支障をきたしている場合はうつ病の可能性があります。

うつ病の中核的な症状はあくまで抑うつ気分または興味や喜びの喪失ですが、がん患者さんがこれらの精神症状を訴えてくることはほとんどなく、むしろ、「頭が重い」「吐き気がする」「食欲がない」「疲れやすい」「眠れない」といった身体面の症状を訴えてきます。

こうした症状は、がんに伴う身体症状や抗がん剤の副作用として現れることもあるため、「がんだから当然だ」、「薬の副作用だからしかたがない」と我慢したり、やり過ごしたりする患者さんは少なくありません。がん患者さんのうつ病の診断を難しくしているのはこういう背景があるのも一因です。

がん患者さんが身体的な不調を訴えてきた場合、がんの進展や治療薬の副作用などでは説明ができない症状、あるいは原因がはっきりしない症状はうつ病の合併を疑う必要があります。

いくつかの研究報告から、がん患者さん(再発・転移を含む)における精神疾患の有病率は50%程度で、このうち適応障害が20~30%を占め、うつ病が10%前後と考えられています。日常診療では、うつ病がかなり進行してから初めて受診する患者さんがおられますが、早めに症状に気づいて適応障害の段階で治療を始めればうつ病への進展を食い止めることもできます。

がん患者さんの精神疾患が必ずしも適応障害を経てうつ病になるわけではありませんが、早期発見が重要であることは言うまでもありません。

他の疾患と精神疾患の関連を見ると、糖尿病患者でうつ病を併発しているのは11%、うつ病の疑いがあるのは31%(国立精神・神経医療研究センター調査)、また心疾患患者でうつ病を経験しているのは20%前後(海外の研究)と報告されています。このように、がん患者さんに精神疾患が特に高頻度で発症しているわけではありません。

がん患者さんによく見られる精神疾患のもう1つに、せん妄があります。せん妄は、心理的ストレスに関連した精神状態と誤解されることがありますが、身体的な異常や薬剤によって引き起こされる急性の軽い意識障害です。

周囲の状況が理解できない、実際にはないものが見えたり聞こえたりする、物忘れがひどい、興奮するあるいは反応に乏しい、眠れないなど、多彩な症状が現れます。がんの影響による代謝や電解質のバランスの変化、抗がん剤やオピオイド鎮痛薬の影響、脱水、感染症など、原因はさまざまです。

一般には手術の後や、治療薬が変わった時、全身状態が変化した時などに一時的な症状として現れますが、がん患者さんでは終末期に多く見られます。

松島英介先生

精神疾患の早期発見・早期治療には周囲の見守りが必要

 精神疾患に罹るとQOL(生活の質)やADL(食事・排泄・移動などの日常生活動作)が低下し、がんの治療、療養生活にさまざまな支障が出てきます。たとえば、治療に対して自分の考えをきちんと伝えられなくなったり、治療法の選択に際して的確な判断ができなくなったりします。

通院や服薬など、アドヒアランス(患者さんが積極的に治療方針の決定に参加し、その決定に従って治療を受けること)のうえでも乱れが生じて、治療が滞ったりします。その結果、患者さん本人だけでなく、ご家族にも負荷がかかることになります。

がん患者さんの適応障害やうつ病の治療は、がんの治療と並行して行われます。治療といってもすぐに薬物療法を開始するのではなく、軽度の場合は、精神科医や心療内科医、臨床心理士などが患者さんの言葉に耳を傾けることで患者さんの症状が軽減していくこともあります。

それでも効果が期待できない場合は不安を取り除く薬や、眠れない人には睡眠薬を処方します。うつ病に近い適応障害やうつ病の人には抗うつ薬を使うことになります。大切なのは、まず患者さんが自分の精神疾患について正確に理解し、そのうえで専門の治療を受けることです。

がん患者さんは自分が精神疾患であることに気づきにくく、早期発見、早期治療に結びつけるためには、ご家族を含め周囲の人が注意深く見守る必要があります。

【こんな症状に注意】
・心配事が頭から離れない
・気持ちが落ち込む
・何をしても楽しめない
・考えたくないのに嫌なことを考えてしまう
・常に緊張していてリラックスできない
・そわそわして気持ちが落ち着かない
・怒りっぽい
・イライラする
・集中できない
・やる気が出ない
・物事が決められない
・眠れない
・食欲がない
・冷や汗がひどく出る
・だるくて疲れやすい
・自分を責める
・生きることが面倒になる

*このような状態がおよそ2週間以上続いた場合は、精神科や心療内科に受診することをお勧めします。(国立がん研究センターのウエブサイト「がんと心」より引用改変)

厚生労働省は、一昨年「がん診療連携拠点病院」の指定要件を改定し、がんの診断時から患者さんの苦痛をスクリーニングすることで適切な治療につなげていくという指針を示しました。これは患者さんががんと診断されたときから、ご家族も含め身体的、精神心理的、社会的苦痛などに対して適切に緩和ケアを受けることで、これらの苦痛が緩和されることを目標にしています。

スクリーニングの方法の1つに「つらさと支障の寒暖計」があります。これは適応障害、うつ病をスクリーニングすることを目的に開発されたもので、患者さんの気持ちのつらさ、日常生活の支障の程度を測ることができます。0~10点の11段階で評価できるようになっており、点数が大きいほどつらさや支障の程度が高いと判断します。

つらさと支障の寒暖計

*「つらさと支障の寒暖計」は、心のケアの専門家に相談するべき気持ちのつらさがあるかどうかを判断するための自己診断法です。左側の「つらさ」の寒暖計が4点以上、かつ右側の「支障」の寒暖計が3点以上の場合は、適応障害やうつ病に相当するような中程度以上のストレスを抱えた状態であると考えられます。つらさの内容について、担当医や看護師、ソーシャルワーカーへ相談されることをお勧めします。
(国立がん研究センターのウエブサイト「がんと上手につき合うための工夫」より引用)

 

チームで支えるメンタルヘルス「つらい気持ちをもっと訴えて、そしてあきらめないで」

 「がんに負けたからつらい気持ちを訴える」とか、「がんのために心まで弱くなっている」などと思われたくないという意識から、つらい気持ちを一人で抱え込んでいるがん患者さんが多くいらっしゃいます。「先生は忙しいのにこんなこと(つらい気持ち)を話していいのか」と遠慮したり、「がんになったうえに精神疾患まで患って家族に対して申し訳ない」と嘆いたりする人も少なくありません。

ストレスに対する対処方法(ストレスコーピング)とがんの発症や再発との関連について、世界中でさまざまな研究が行われてきましたが、がん患者さんが「前向きな姿勢で頑張る」ことで、がんの発症や再発が抑えられることはないとする報告が多いようです。

その半面、がんの患者さんが絶望感を抱かず、望みを捨てず、どんな小さなことでも希望をもって療養していくことで、がんの再発が抑えられる傾向が認められたとする報告は見られています。ですから、私たち医療者は再発・転移の患者さんに、最後まであきらめないで治療やケアを受けていただくために努力をしていくことが重要だと考えています。

現在、全国に400施設あまり設置されているがん診療連携拠点病院(PDF:176KB)の緩和ケアチームは、主に身体症状を担当する医師、精神症状を担当する医師(サイコオンコロジスト)、看護師、薬剤師で構成され、さらにソーシャルワーカー、臨床心理士、理学(作業)療法士など、多職種が関わって患者さんの健康を支えています。

体温、脈拍、血圧、呼吸数はヒトが生命を維持していくうえで、不可欠なバイタルサイン(生命徴候)として一般的に知られていますが、がんに関わる医療従事者としては、第5のバイタルサインとして「痛み」、さらに、第6のバイタルサインとして「気持ちのつらさ」にも着目して患者さんの状態を観察するようにしています。

「がんだから、不安で憂うつな気分になるのは当然」などと考えず、医師にはもちろん、看護師(外来、入院)、ソーシャルワーカー、臨床心理士など、だれにでもいいですから、つらい気持ちを積極的に訴えていただきたいと思います。

取材にご協力いただいたドクター

松島英介先生

松島 英介 先生

東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科 心療・緩和医療学分野教授(医学部附属病院心身医療科長)

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