【特集記事】「抗がん剤を止める時」について

公開日:2018年08月31日
「抗がん剤を止める時」について

抗がん剤は、全身に広がる可能性があるがん細胞や、すでに他の場所に転移しているがん細胞などへの広い範囲のがんにアプローチできる可能性がある一方で、がん細胞だけでなく、正常な細胞にも影響が及びやすく、場合によっては副作用がでることもあります。がんの進行状態やつらい副作用、経済的な負担から抗がん剤の投与の中止を選択する場合があります。
抗がん剤治療との向き合い方やがんへの問題意識について、東京女子医科大学センター長、化学療法・緩和ケア科教授、林和彦先生にお話を伺いました。

目次

抗がん剤は諸刃の剣

薬は、私たちの健康状態を回復・保持・向上させるものです。鎮痛剤は痛みを抑え、解熱剤は熱を下げ、抗がん剤はがんに対して効果を発揮します。ただし抗がん剤は、単独で使った場合、効果があるのはせいぜい30-40%で、効かない可能性のほうが大きいという特殊な薬です。抗がん剤が効かない患者さんにとって、抗がん剤はがんを治す役目をもたず、むしろ「毒」として患者さんを苦しめます。

たとえ奏効率(※1)が10%、20%の薬でも、それが効いた患者さんにとっては奏効率100%です。抗がん剤が有効な場合には、がん細胞の増殖を防ぎ、患者さんの生命維持においても改善につながることが証明されています。

近年、さまざまな新薬が開発され、がんに対する薬物治療成績は向上していますが、実際のところ、使ってみなければ効果があるかどうかはわかりません。抗がん剤の治療を始めるとき、患者さんにまずこうしたことを説明し、十分理解してもらうことが非常に重要です。

※1 抗がん剤などの治療薬が効果を示した割合。腫瘍が完全に消失する「完全奏功」と、腫瘍が30%以上小さくなる「部分奏功」の合計値で表す。

抗がん剤を中止するとき

切除不能、あるいは再発がんと診断された固形がんに対して、しばしば化学療法が標準治療として行われますが、何らかの理由で治療を継続できなくなることがあります。

がんの病勢が悪化し有効な抗がん剤がなくなった場合や、患者さんの全身状態が悪化し抗がん剤を投与できなくなった場合に、患者さんに抗がん剤の投与中止を伝えなければなりません。

たとえば、肝転移が多発し肝不全になったり、腸閉塞が起こったりするなど、がんの悪化によって臓器障害が現れると、使える薬剤は限られてきます。肝機能障害や腎機能障害が起こると、肝代謝型(※2)の薬剤や、腎排泄型(※3)の薬剤は副作用が強く現れる可能性があり、使いにくくなります。腸閉塞が起こると腸管排泄型の薬剤は使用できません。

がん患者さんの全身状態を評価する指標としてよく使われるパフォーマンス・ステータス(PS)は、「0」~「4」の5段階で日常生活の制限の程度を示します。数字が大きいほど状態が悪いことを意味します。

  • 0:まったく問題なく活動でき、発症前と同じ日常生活が制限なく行える
  • 1:肉体的に激しい活動は制限されるが、歩行が可能で、座って行う軽作業(家事、事務作業など)はできる
  • 2:歩行可能で、自分の身のまわりのことはすべて可能だが、作業はできない。日中の50%以上をベッド外で過ごす
  • 3:自分の身のまわりの限られたことしかできない。日中の50%以上をベッドか椅子で過ごす
  • 4:まったく動けず、自分の身のまわりのこともできない。完全にベッドか椅子で過ごす

また、多くの臨床試験はPS「2」以下の全身状態が良好な患者さんを対象に行われます。PS「3」以上の全身状態が低下している患者さんに対して、使える抗がん剤があっても、積極的に使われることは多くはありません。

ほかに、抗がん剤の投与中止を検討するケースとして、患者さんが治療の継続を希望しない場合があります。患者さんの家族や職場の同僚など、抗がん剤治療を経験した人の闘病生活を見て、治療の限界を感じ、抗がん剤治療に期待が持てないという患者さんもいます。

また、つらい副作用や経済的な負担などによって損なわれるQOL(生活の質)と、予測される生存期間を天秤にかけて、抗がん剤治療の中止を選択する患者さんもいます。

患者さんの人生観、治療へのモチベーションも大きく影響します。「人生を十分に生き抜いて、思い残すことはなにもない。残された時間をつらいだけの治療に使いたくない」という人に抗がん剤治療を強いる意味はありません。

※2、※3 薬は、体内から消失する経路によって肝代謝型と腎排泄型に分けられる。肝代謝型の薬は、肝機能が低下していると代謝が低下して体内に蓄積し、腎排泄型の薬は腎機能が低下していると排泄が低下し体内に蓄積する可能性がある。

ガイドライン+αのがん治療

がんの治療はガイドラインに則って進められます。治療ガイドラインは、病態に合わせてフローチャートに患者さんを乗せる指針です。個々の患者さんに合わせたものではありません。

しかし、患者さんが男性か女性か、高齢か若いか、家族がいるかいないか、裕福かそうでないかによって、また、たとえば当院を受診する患者さんでも、東京に住んでいる人と北海道に住んでいる人ではアクセスの点で必要な医療は違うはずです。これまでの人生に満足している人と、まだやり残していることがたくさんある人の人生観もまったく違うでしょう。それでも治療ガイドラインはすべての患者さんに対して一律に治療することになります。

がん患者さんが10人いれば10通りの治療法があるべきであり、ガイドラインを踏まえながら、個々の患者さんに合った治療を提供するのが医師の役割であると考えています。

抗がん剤の治療がつらいので投与量を減らしたいという患者さんは少なくありません。既定量の80%程度にすれば、副作用を気にすることもなく薬物治療を続けられるケースは珍しくありません。なかには、半分に減量しても効果がある患者さんもいます。ただし、減量によって治療効果が下がることについては、具体的な奏効率や延命期間を提示しながら説明し、必ず患者さんの意思を確認する必要があります。

減量して効果がなくなれば、それ以上は「毒」を投与するのと同じことですから、中止すべきです。その場合、休薬も選択肢の1つです。休薬している間にがんが進行する可能性があることを説明し、それでも患者さんが休薬を望めば、そのようにします。

患者さんが抗がん剤治療の継続を希望しても中止せざるを得ない場合、主治医に見放され、医療に見限られてしまったと不安になる可能性があります。しかし、積極的治療の中止が医療的な介入の終了を意味するものではありません。身体的な痛み、精神的な痛みなど、がんのつらさを緩和して、穏やかに生活するためのサポートは継続されます。

抗がん剤の中止を検討しなければならなくなった時に、それでも生きることに前向きな患者さんには、たとえば、骨転移だけなら重粒子線治療でいけるかもしれないと考えれば、保険適用外の治療であっても情報を提供することもあるでしょう。

がん患者さんには、どの時点においても必ず何らかの治療を受けられることを知っていてほしいと思います。治療を受ける場所についても、住み慣れた自宅を希望する場合は在宅で訪問による診療・看護や服薬指導を受けることができます。施設を希望する場合はホスピスなどにつなげることも可能です。がんの治療は患者さんの希望、意思が最優先されるべきです。

「青い鳥」はどこにもいない

私は、必要があればほかの医師の意見を聞くように患者さんに勧めてきました。セカンドオピニオンを聞くことは、患者さんが自分の治療を納得し、患者と医師の信頼関係をより強くするためにも有用です。時にはサードオピニオンも勧めることがありますが、「青い鳥」はいないということに気づいてもらうことも重要です。「青い鳥」を探しているうちに時間が経って、治療が遅れてしまうのは残念です。

国民の2人に1人ががんになる時代だというのに、どこまで自分の問題としてとらえているのか不安になります。どこか他人事なので、がんと診断されると、「まさか自分が」とショックを受けます。日本の皆保険制度は世界に誇れるシステムである一方、誰でも高い水準の医療を受けられるため、国民が自分の健康のことを主体的に考えるのを放棄させている側面もあります。

がんの検診率が上がらないのはそのためでしょう。私はこれまで、がんの疾患啓発をし続け、ことあるごとに検診を受けるように呼び掛けてきましたが、正直言って手応えを強く感じたことはありません。公開講座を開催しても、がんへの問題意識と知識をもち、ある程度啓発されている人がお見えになって、より啓発されてお帰りになるというのが現実です。

そこで私は、対象を成人から子どもに切り替え、学校教育の中で大切なことを伝えていく活動を行うようになりました。そのために教員免許も取り、全国の小・中・高校を回ってがんの授業をしています。

がん患者さんの満足が本質

私はもともと外科医です。私が当院の消化器外科医だったころ、消化器外科病棟は150床もありました。外科医でありながら内視鏡を使い診断をし、手術をし、抗がん剤も扱い、看取りまで担当しました。望めば自分が関わる患者さんを全員看取ることもできました。がん治療に携わる医師にとって恵まれた環境だったこともあり、常に全力で患者さんと向き合ってきました。

多くのがん患者さんに接してきて、藁にもすがりたい気持ちはよくわかります。そんな患者さんに私は、「つかまれる太い木(エビデンスのある治療)があれば、それにつかまっていてください。藁だけではおぼれてしまいます」と話しています。

私は患者さん一人ひとりとできるだけ長く付き合いたいと思っています。ですから、患者さんには「我慢する必要も、いい子になる必要もなく、なんでも話してほしい」と言っています。

忙しい医者の手を止めてしまうのではないかと遠慮する時代では、もはやありません。医者に「もういい加減にしてください」と言われるぐらい求めてもいいと思います。それほど時代とともに医師の意識は変わってきています。

医療は究極のサービス業です。病院が世界最高の医療と信じて提供しても、患者さんが認めなければその価値はありません。患者さんに満足してもらえる医療を提供しているか、私たちは常にそれを検証しながら仕事をしています。

ポイントまとめ

  • さまざまな新薬が開発されているが、使ってみなければ効果は不明なことも事実。抗がん剤治療を始めるときはしっかり説明を受けた上で、十分理解しておくことが非常に重要。
  • 何らかの理由やさまざまな状態により抗がん剤治療を継続できなくなることがあるため、全身状態を評価する指標としてパフォーマンス・ステータス(PS)を把握し、抗がん剤の投与中止に至る状態を認識しておくことも大切。
  • がんの治療はガイドラインに則って進められる。+αとして個々の患者さんに合った治療を提供するのが医師の役割。どの時点においても必ず何らかの治療の可能性もあることを知ってほしい。
  • セカンドオピニオン・サードオピニオンでの判断で、時間が経ってしまい治療スタート自体が遅れてしまわないようにすることも重要。
  • 患者さんは医師に遠慮せずになんでも話して、より満足できる医療を提供してもらえるように心がけてほしい。

取材にご協力いただいたドクター

林 和彦先生

東京女子医科大学がんセンター長 化学療法・緩和ケア科教授

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