【特集記事】がん患者の脳梗塞の4分の1を占めるトルソー症候群

公開日:2016年11月30日

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深部静脈血栓症、肺血栓塞栓症も起こしやすい

 がんになると全身の血液が固まりやすくなることが知られています。がんに伴う血液凝固能亢進によって発生する脳梗塞はトルソー症候群と呼ばれています。19世紀にフランスの神経内科医であるTrousseau(トルソー)によって発見された疾患です。

トルソー症候群では、主に腺がんから分泌される粘性物質のムチンや、腫瘍細胞から分泌される組織因子、免疫システムの細胞から分泌されるサイトカインなど、さまざまな物質が血小板、血管内皮などに作用して凝固能亢進が起こると考えられています。

トルソー症候群の多くは、非細菌性血栓性心内膜炎による心原性脳塞栓症――つまり、心臓の内膜にできた血栓が血流に乗って脳に運ばれ、そこで血管が詰まって脳梗塞を起こすというメカニズムです。なお、高齢者によく見られる心原性脳梗塞は、不整脈の心房細動が生じて、心臓から血液を一気に送り出せず、血液が心臓の中で淀んで血栓ができやすくなるのが主な原因で、がんの合併症の1つであるトルソー症候群とは異なる病態です。

抗がん剤によって発症する脳梗塞にも注意が必要です。ただし、抗がん剤が直接脳梗塞を引き起こすわけではありません。たとえば高齢者では、動脈硬化が進んでいる状態に加えて、抗がん剤の影響で食事ができず、十分な栄養や水分を取ることができなくなったりすると、二次的に脳梗塞を発症することがあります。

また、凝固能が亢進しているがん患者さんでは、脳梗塞のほかに静脈血栓塞栓症(深部静脈血栓症、肺血栓塞栓症)も起こしやすいことが知られており、狭義のトルソー症候群(凝固能亢進による脳梗塞)にこれらの静脈血栓塞栓症を加えて広義のトルソー症候群(凝固能亢進に伴うさまざまな疾患)と称することもあります。

静脈は心臓にたどり着くまでほかの静脈と合流しながら太い血管になっていきます。深部の静脈にできた血栓(深部静脈血栓症)がはがれると、途中で引っかかることなく血流に乗って心臓に達し、右心房、右心室を通って肺動脈に入ります。肺動脈は分岐しながら細くなっていくため、そこで血栓が詰まると肺血栓塞栓症が起こります。

一般にエコノミークラス症候群と呼ばれており、長時間姿勢を変えずにいると下肢の静脈の血流が停滞して血栓ができやすくなりますが、がん患者さんの場合はさらにそのリスクが高まります。

卵円孔(らんえんこう)開存症といって、健康な成人でも時々見られる病態があります。卵円孔は心臓の右心房と左心房の間の瘻孔(ろうこう)で、通常出生と共に閉鎖されますが、成人しても閉鎖していないことがあります。咳をしたりすると右心房の圧力が一時的に上がって、血液が漏れ、静脈の血栓が卵円孔を通過して左心房に流れ込み、さらに脳の血管に移動して詰まると脳梗塞を発症します。

通常は静脈の血栓は肺に詰まり脳には到達しませんが、卵円孔が開存していると脳梗塞を起こすことがあり、このような脳梗塞は奇異性塞栓症と呼ばれ、トルソー症候群に含められることがあります。

女性特有のがんに多く、卵巣がんでは初期に発症する例も

 当センターでは過去5年間で81人のがん患者さんが脳梗塞を発症し、そのうち20人がトルソー症候群でした。一般的に、脳梗塞はラクナ梗塞4分の1、アテローム血栓性脳梗塞4分の1、心原性脳梗塞4分の1、原因不明4分の1に分かれます。当センターのがん患者さんの脳梗塞を、原因不明を除いて分類すると、4分の1がトルソー症候群、4分の1が心原性脳梗塞、残りがアテローム血栓で、ラクナ脳梗塞はほとんど見られませんでした。

トルソー症候群は卵巣がんや乳がんなど、女性がかかりやすいがんに比較的多いといわれますが、当センターで最も多いのは卵巣がんで、次いで膵がんと胆管がんが多く、3番目が肺がんとなっています。がんが進行している時や、末期の状態の時に発症することが多いのが特徴です。

一方、卵巣がんでは時に初期の段階でトルソー症候群を発症する例もあります。特に若い女性では脳梗塞の発症をきっかけに卵巣がんが発見されることもあります。また最近、原因不明の塞栓源不明脳塞栓症(ESUS)が一般の脳梗塞治療のうえで話題になっており、その一部には診断されていないがん患者さんが含まれていると考えられています。若い人で脳梗塞のリスクがない場合は、がんが隠れていないかを念頭に入れて検査する必要があります。

脳梗塞の疑いがある患者さんにはDダイマー測定などの検査を行って血液凝固能が亢進しているかどうかを確認します。Dダイマーは血液凝固で重要な役割を果たすフィブリンの分解産物で、がん、肺血栓塞栓症、深部静脈血栓症、播種性血管内凝固症候群(DIC)などで上昇することが知られています。トルソー症候群を発症した患者さんでもDダイマーが上昇している例が多く見受けられます。

脱水を防ぎ、一過性脳虚血発作に注意を

 トルソー症候群の治療は抗血栓療法が主体です。抗血栓療法には抗凝固療法と抗血小板療法がありますが、トルソー症候群は抗凝固薬で治療します。通常、静脈血栓塞栓症の再発予防には抗凝固薬であるワルファリンが使用されますが、がん患者さんの静脈血栓塞栓症についてはワルファリンでは効果が不十分で、ヘパリンの長期投与が推奨されています。

低分子ヘパリンのほうが未分画ヘパリン(通常ヘパリン)よりも出血のリスクが低く、がん患者さんの静脈血栓塞栓症に対しては低分子ヘパリンがより効果的と考えられます。しかし、低分子ヘパリンは慢性期の静脈血栓塞栓症の予防では保険が適用されません。

そのため、静脈血栓塞栓症の薬物治療では未分画ヘパリン(皮下注射)かワルファリン(内服)のどちらかを選択するのが現状です。ワルファリンは歴史のある薬ですが、専門家でも使い方が難しいといわれ、患者さんによって最適な用量が異なるうえに、体調によっても効き方が変わるため、同じ用量を内服していても出血しやすくなったり、再梗塞を起こしやすくなったりします。

さらに、抗がん剤との相性は、相互作用によって抗がん剤の効果が強められたり弱められたりするリスクが少なからずあります。そのためがん患者さんでは使用することが難しいというのが実際のところです。

近年、脳梗塞発症後の再発予防で使われるようになった直接作用型経口抗凝固薬(DOAC)はワルファリンと同等の効果を有し、出血リスクが少ないことで注目されています。トルソー症候群に対するDOACの効果に関するエビデンスはまだありませんが、がん患者の静脈血栓塞栓症に対する効果、安全性はワルファリンと比べて同等以上の傾向があることが報告されています。

米国胸部学会のガイドライン(2016年)では、がん患者ではない静脈血栓塞栓症に対する抗凝固療法の第1選択薬はDOAC、第2選択薬はワルファリンですが、がん患者の静脈血栓塞栓症に対するDOACの推奨レベルは明確なエビデンスがないためまだ低く、低分子ヘパリンが第1選択薬、ワルファリンが第2選択薬、DOACは第3選択薬となっています。

今後低分子ヘパリンとDOACを直接比較した臨床試験の結果によって推奨度が上がることが期待されています。

トルソー症候群、静脈血栓塞栓症の予防では脱水にならないように水分を摂取することが重要です。また、脳梗塞の前兆として一過性脳虚血発作(TIA)が出現することがあります。

食事中に突然、手に力が入らなくなって持っていた茶碗を落としたり、会話の途中で突然言葉が出なくなったり、読書中に突然片目が見えにくくなったりして、何が起こったのかと心配しているうちにいつのまにか回復するといったような経験があれば、TIAの可能性があります。高齢者で高血圧、糖尿病などの生活習慣病があると、さらにその可能性が強くなります。

日本脳卒中学会の「脳卒中治療ガイドライン」によると、TIA発症後90日以内に脳梗塞を発症した症例の約半数がTIA発症後48時間以内に脳梗塞を発症するとしています。また、TIA発症後90日以内に脳卒中を発症するリスクは15~20%という報告もあります。

以下のような症状が見られた出た時はすぐに主治医に相談することをお勧めします。

手足が動かない
顔がゆがむ
歩行が片側に偏る
物を落とす
上手く握れない
ろれつが回らない/言葉が出ない
相手の話すことが理解できない
片方の視界が悪くなる
片方の目が見えにくい/片側にある物が見えない
ものが二重に見える
回転性のめまい
むせる/飲み込めない

先述したように、がんが進行すると血液の凝固能が亢進するリスクが増えます。逆にいえば、がんの治療が進むことでトルソー症候群の発症リスクの抑制が期待できます。

【患者さんに知っておいてほしいこと】

がんの診療はいま、医師は患者さんに対してポジティブな情報もネガティブな情報も、ありのままを伝えて、共にがんばってがんの治療をしていこうという傾向にあります。患者さんに精確な診断名を伝え、ていねいに病態を説明していきます。患者さんも自分の病気について調べることでより理解が深まります。

また、治療の選択肢が複数あれば、それぞれのリスクについても十分説明したうえで、患者さんがより良い選択ができるように必要に応じて専門知識を提供たり、セカンドオピニオンを勧めたりします。「わかりませんから、先生におまかせします」治療から、「患者さんが医師と一緒に決断していく」治療に変わっていくことが大切だと考えています。

【災害時の対処について】

トルソー症候群の患者さんにとって抗凝固薬はとても重要な薬です。特にDOACは半減期(薬の全体量が半分になるまでの時間)が短く、1回飲み忘れただけでも効果が切れ、脳梗塞を起こすリスクがあがります。したがって、どのような状況下でも薬を切らさないことが重要です。主治医に相談して、少し多めに処方してもらうなど、ふだんから準備しておくことをお勧めします。1週間分ぐらい備蓄があればまずは急場をしのげると思います。

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取材にご協力いただいたドクター

長谷川 祐三 先生

千葉県がんセンター脳神経外科医長

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