【特集記事】医療現場とがん患者さんの隙間を埋める「がん哲学外来」

公開日:2014年10月31日

目次

がん患者さんには、家と病院以外に、もう一つの場所が必要だった

 2007年にがん対策基本法が成立しました。がん対策基本法の中では、がん患者さんの心のケアの重要性が打ち出され、全国に407か所ある「がん診療拠点病院」にがん相談支援センターを開設して、がん相談員が配置されました。

これにより患者さんの心のケアが進むかと思われたのですが、思ったようには患者さんの問題解決にはならなかったようです。病院という場所で、医療者を前に、患者さんが自分の病気や人生を主観的に話すということは、非常に難しいのです。患者さんは、かしこまってしまうのです。

患者さんは病気そのものについてだけでなく、生活上で多岐にわたることについて心配を巡らせています。病気についての悩みというより、人としての生き方の悩みだったりします。そのような悩みは、医療者だから答えられるというものではありません。

ガイドラインのようなもので形式的に質問をしていったところで、解決することは難しいでしょう。がん相談支援センターで、患者さんのニーズが満たされない場合もあったのではないでしょうか。

人の人格というものは、長い人生の中で培われていきます。患者さんの多くは高齢です。

そのような人生経験豊かな方の相談に乗ることができる人は、静かに「寄り添える人」だと思います。患者さんの等身大の悩みを、自分の言葉で話す場所、苦しみを語り、乗り越える場所が必要だと思いました。このような場所は、実は病院や家ではないと思ったのです。これが「がん哲学外来」を始めようと思ったきっかけです。

 

医療者も患者も同じ目線で語らい、人生の意味を考える

 「がん哲学外来」では医療従事者も患者も市民も同じ目線で語るのが特徴です。人間と人間で接して1時間も会話をする場所というのは、社会の中にあまりありません。がん哲学外来はそのような場の提供を目指しています。町の中に気軽に立ち寄れる、そのような場が増えることを望んでいます。

がん哲学外来には3つの役割があります。一つは個人面談、二つ目は患者さん同士が語らい合える場所の提供、3つ目が人生の研鑽です。語り合いながらお互いの境遇に学び合います。

個人面談は一人60分程度の時間で行っています。最初の20分~30分は、私は患者さんの言葉を傾聴します。患者さんは誰にも、家族にも言えなかった話などを語られ、涙を流す方もいらっしゃいます。患者さんにとっては、残されている時間がとても大切です。話を聞く側が、ゆったりとした雰囲気でいることがとても大切だと思っています。患者さんを焦らすような雰囲気を出さないように心がけています。

傾聴の時間を終えて、残りの時間で対話をします。この時の対話の経験や言葉が基軸になって、ご自宅に戻られてから心が整理されるようです。心が整理されると、お考えも変わってくる。そうなると、病気と付き合いながらも悩みは解消されていくのですね。今までとは顔が変わります。こわばっていた顔に笑顔が戻っていくのです。周りにも興味がでてきて、残りの人生に尊厳を持ちながら生き切ることができるようになると思います。たとえ明日死んでも、この花に水をやろうとさえ思えるとおっしゃる方もいます。

患者さんは家族に迷惑をかけているという思いが強く、遠慮している方が多いです。自分が病気になったことで、精神的にも金銭的にも負担をかけているという負い目を持っています。これ以上、心配事を増やして家族への負担をかけたくないと思っているのです。患者さん同士の語らいの場があると、同じ境遇の方達が気兼ねなく話をすることができます。そこに哲学という方法も加わって生きるという意味について考える。これが気持ちを前に向かせる秘訣だと思っています。

哲学という方法は、自分を客観的に見つめることができます。車の運転席からしか道を見ないのではなく、時には、空の上から自分の進んでいる道を俯瞰することが大切です。 現代人は忙しく、普段の生活の中に、人生の意味を考える時間を持てる人は少ないでしょう。病気になって初めて、死という現実に直面して、人生の意味を考え始める人が多いのでしょう。

夫婦間でコミュニケーションが上手くいっていない方もいます。旦那さんががんになったときには、奥さんのおせっかい。奥さんががんになったときには、旦那さんの冷たさ。こういった関係性になってしまう方が多いようです。その場合には、夫婦や家族の方と一緒に参加してもらいます。同じテーブルに座って話すことで分かり合えることがあります。哲学外来での経験は家に戻っても話のタネになります。そこからコミュニケーションが生まれていく場合もあります。

30分以上会話がなくても苦痛にならない。そうしたら人間いいですね。それでも自分に関心をもってくれている。そういった関係があることに気付くことで救われていきます。

病気になると一時は忍耐が必要になります。しかし、それでイライラしていたり、不安をまき散らしてばかりいると、周りのみんなが去っていきます。苦しみは誰にでも訪れるのですが、この苦しみを乗り越えると風貌が変わってきます。忍耐を経験した人には品性がでてきます。そして品性が希望に繋がるのだと思っています。

 

御茶ノ水での活動が、全国に展開

 私は大学院生の看護師さんに授業をしていたのですが、その時の生徒の皆さんが中心となって2009年に「がん哲学外来」を特定非営利活動法人(NPO法人)として組織化をしました。この時期から各地域での有志の方のサポート、地域病院で常設して頂ける機会が増えていき、協力して頂ける企業もでてきました。

その後2013年7月3日に一般社団法人化をして、よりいっそう関係者の方々をサポートしながら活動を広げていくことになりました。各地の「がん哲学外来」はこちらのページで確認することができます。北海道から九州まで開催しています。ご興味のある方は、お近くに場所があるか、確認して頂けたらと思います。

各地の「がん哲学外来」は医者、看護師、市民、患者、ソーシャルワーカーなどの様々な人たちがチームを組んで運営しています。それぞれに特色があります。私が参加している御茶ノ水では、毎回80名くらいの方が参加されます。10くらいのテーブルに分かれて、そこでそれぞれに語らう場を設けていて、別室で私が個人面談をしています。

病気になったとしても、尊厳をもって、希望を持って生きられるような社会が実現するように願っています。がん哲学外来が多くの方の人生に希望をもたらせるように、患者さんの人生に寄り添っていきたいと思っています。

 

患者さんの声(がん哲学外来 ホームページより引用)

こんにちは。昨日は、本当にありがとうございました。40分を少し過ぎてしまいましたが、樋野先生から的確で温かい言葉をいっぱいいただいて、方向性や希望が見え、それだけで本当に元気になりました。皆さんが温かく迎えてくださったことも大きく、お心遣いに心から感謝します。どうぞ、皆さんにお礼を申し上げてください。「がん哲学外来」は、存在そのものが希望の光だと思います。樋野先生には、お手紙でお礼を申し上げたいと思っています。私は現在治療中で、今後も続く予定なので残念ながらあまり体力がないのですが、どうぞよろしくお願いします。

がんの発見やがんの治療についての技術は日々進歩しています。しかし、がん患者の気持ちについての研究は立ち後れているように思います。たとえ同じがんになり、同じ程度悪いとしても、がん患者1人1人で不安に思っている内容や不安に思っている程度はまちまちではないでしょうか。そのような違いを理解することなく、同じ説明で同じ医療行為を行うことは止めるべきではないでしょうか。がん患者1人1人が持っている、そのような行為を行っている医療は、がんに向き合っているだけで、患者には向き合っていないのではないでしょうか。本当にがん患者に向き合うためには「究極の多様性ががん医療の隙間を埋める」に書いてある「がん哲学外来」が必要になってくると感じました。たとえ「がん哲学外来」が、がん医療の成績に大きな影響を与えないとしても「がん医療の隙間」は無意識に遠ざけようとしている部分にぐさりと突き刺さるようで刺激的です。近親者にいないだけで知ろうとしないことがいかに軽率か考えさせられました。「がん哲学外来」は新しい試みで興味深いです。こういう分野はこれから需要が高まっていきそうな気がします。

周りに相談する人もおらず、主治医はとてもいい方ですが、やはり「切る」のが仕事ですし、いつも患者さんで溢れている外来では、病状に関する事を手短に話すことしかできないという現実があります。結果としてこの8年、ずっと自分一人で病気を抱えて生きて参りました。病気そのもとの同じくらい、もしかしたらそれ以上、心がしんどかったように思います。そんな中でたくさんの本を読み、折れそうになった心を支えてくれるような数々の言葉に出会いました。患者を生かすも殺すも言葉一つなのではないかとさえ思います。ですから、「がん哲学外来」の目指すところに大変共鳴いたしております。

取材にご協力いただいたドクター

樋野 興夫 先生

樋野 興夫 先生

順天堂大学医学部 病理・腫瘍学 教授
一般社団法人 がん哲学外来 理事長 医学博士

関連記事

※掲載している情報は、記事公開時点のものです。