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- がんの目印「WT1」「WT1ペプチド」とは?
研究・開発の第一人者に聞く、がん免疫療法への応用と効果
がんの目印「WT1」「WT1ペプチド」とは?
研究・開発の第一人者に聞く、がん免疫療法への応用と効果

杉山治夫(すぎやま はるお)先生
人間の体には、さまざまな病原体や、がん細胞のように体内で発生した異常細胞を排除しようとする「免疫」という仕組みが備わっています。がん医療の世界では、1970年代、この免疫への関心が高まり、免疫の活性化を目的とするさまざまな薬剤が登場しました。そして現在、免疫の特性を活かしたがん免疫療法は、手術や化学療法(抗がん剤)、放射線治療に次ぐ第4の治療法と言われるまでになりました。
長年、がん免疫療法一筋に研究を続ける大阪大学の杉山治夫(すぎやま はるお)先生は、この分野を代表する医師の1人で、その研究成果は世界的に高い評価を得ています。杉山先生に2回にわたりお話を伺う今回の企画。第1回目は、がん免疫療法が今日に至るまでの経緯や治療のカギとなる「WT1」抗原、そして「WT1ペプチド」を用いたがん免疫療法についてお話を伺いました。
目次
70年代、がん免疫療法はなぜ一時的ブームに終わったのか
- 先生がご専門とされるがん免疫療法の領域は、いまやがん治療における第4の柱と言われています。免疫にスポットが当たり始めたのは、先生がまだ医学部生だった1970年代と伺っていますが、当時、がん医療における免疫療法は、どのような位置付けだったのでしょうか。
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70年代、がんは死と直結した病気と恐れられ、それゆえ患者さんへのがん告知もタブーとされていました。そんな時代に、免疫賦活剤(めんえきふかつざい)として「BCG-CWS (Cell Wall Skeleton)」「丸山ワクチン」「レンチナン」「クレシチン」などの新しい薬剤が次々登場しました。
免疫療法はにわかに脚光を浴び、免疫を活性化することでがんは治せるのではないかという気運が高まった時期です。新しい薬剤の効果は未知数でしたが、私も免疫の力に期待していたうちの1人でしたから、そうした状況にワクワクしていました。
しかし、残念なことに、当時の薬剤はいずれも医療関係者を納得させるほどの結果を出すに至らず、がん免疫療法への期待は薄れていってしまいます。
- 当時のがん免疫療法はなぜ結果を出すことができなかったのでしょうか。また、その理由をどう分析されますか。
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まず、免疫システムそのものへの知識や解析が十分でなかったことが挙げられるでしょう。
たとえば、免疫には自然免疫(体内に侵入した病原体や、発生した異常細胞などを排除するシステム)と獲得免疫(一度体内に侵入してきた病原体や発生したことのある異常細胞などを記憶していて、それを標的に攻撃しようとするシステム)がありますが、がんを積極的に攻撃するのは獲得免疫のほうです。当時の薬剤は、自然免疫は活性化できても獲得免疫までは活性化することができず、がんに太刀打ちできなかったのです。
また当時、薬剤による治療といえば抗がん剤治療が主流でしたから、免疫療法はあくまでもその補助療法と考えられていました。しかし、抗がん剤はがん細胞だけでなく正常細胞も死滅させてしまうため、抗がん剤治療のあとに免疫療法を行うのは、現在の考え方からすると効果的とはいえません。
抗がん剤の治療後には免疫細胞の数も減少しています。そこに免疫を強化する薬剤を投与しても、効果が得られなかったのは、今から思えば当然のことだったのです。
なかには抗がん剤治療を中断し、免疫療法だけを行うことで治療効果が上がったという報告例もありましたが、免疫の働きそのものについてもよくわかっていない時代において、免疫療法のみで治療を行うことは非常に稀なことでした。
ほとんどのがんに現れるがん抗原「WT1」の発見が長年の研究人生の支えに
- がん免疫療法への期待度が薄れていく中でも先生が研究を続けられたのはどうしてですか。
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研究を続ける上で支えとなった要因の1つに、医学部生時代から抱いていた「がんという手ごわい相手に真正面から向き合って患者さんを救いたい」という強い思いがありました。そういう気持ちで研究を続けるうちに、非常に興味深いがん抗原「WT1」を発見することができた。これが最大の理由と言えるでしょう。
免疫は、一言でいうと「自分(正常な細胞や組織)」と「自分でないもの(病原体や異常細胞など)」を見分けて、「自分でないもの」を排除して体を守ろうとする仕組みですが、がん細胞は正常な細胞が変異することで発生するため、もともとは「自分」であったものです。
それを見分けて攻撃するためには、何かしら目印のようなものがあるのではないかという想定のもと研究が進められ、その結果見つかったのが、がん細胞が持つ目印「がん抗原」です。
がん抗原は、がん細胞の表面に現れるタンパク質で、がん細胞に特徴的に見られるものです。免疫細胞の司令塔といわれる樹状細胞がこのがん抗原を目印として認識し、その目印をT細胞※1に伝える(抗原提示する)ことで、T細胞によるがん細胞への攻撃が始まるのです。
※1 T細胞とは、異物を排除する役割を果たす獲得免疫のひとつ。
※イメージ
こうしたがん抗原にはさまざまな種類があり、がんの種類や発症した部位によって見られるがん抗原も異なりますが、1992年、私は、WT1(ダブリューティーワン)という種類のがん抗原が白血病細胞に非常に高い比率で現れることを発見しました。
そこで、WT1を腫瘍マーカー※2として活用し、治療を終えた患者さんに対してWT1を測定すれば、体内にどのくらいの白血病細胞が残存するかを把握でき、その数値で白血病の再発を早期に発見できるのではないかと考えました。
研究を進めた結果、この検査は大手製薬会社により製品化され、日本では2007年に急性骨髄性白血病に、2011年には骨髄異形成症候群に保険適用となり、今では白血病治療に必須の検査として欧米にも広がっています。
※2 腫瘍マーカーとは、がんなどの発生により血液中に増える特徴的な物質。物質の有無や量を調べることでがんなどの発見や診断を行う。
同時に私は、WT1が白血病だけでなく、ほとんどの固形がんに発現するがん抗原であることにも気づき、検査方法だけでなく治療方法も導き出せるのではないかと考えました。こうして開発した治療法が「WT1がん免疫療法」です。
- そうすると「WT1」という抗原は、さまざまな部位のがんの目印として有効ということになりますね。
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ええ。2000年からはヒト臨床試験を開始して、白血病はもとより、乳がん、肺がん、すい臓がん、卵巣がん、脳腫瘍など、多くのがん細胞での発現が認められました。
近年、がん細胞の増殖には、がん細胞の親玉的存在の「がん幹細胞(がんかんさいぼう)」が大きく関わっていることがわかってきました。がんを治すには、このがん幹細胞の増殖を止めなくてはならないのですが、やっかいなことにがん幹細胞には、特定しにくく、薬が効きにくいという特徴があります。
しかし、WT1はがん幹細胞にも発現していることがわかってきており、WT1を標的とした免疫療法である「WT1がん免疫療法」は、このがん幹細胞も叩くことができると予測されます。
「WT1がん免疫療法」は、皮膚や血中の樹状細胞を活性化させてがんを叩く治療法
- 「WT1がん免疫療法」とは、具体的にどのような治療法なのでしょうか。
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いくつかの種類の治療が、研究も含めて国内外で行われていますが、WT1がんワクチンとして行われているものは、「WT1ペプチドがんワクチン」と「WT1樹状細胞療法」があります。
治療に使うのはどちらも「WT1ペプチド」で、これはがんに対する免疫をより強力に働かせるように一部を改変した“人工的ながん抗原”です。
「WT1ペプチドがんワクチン」は、WT1ペプチドを患者さんに直接注射して皮膚の樹状細胞を活性化し、体内のT細胞を刺激することでがんへの攻撃力を高める治療法です。
もう一方の「WT1樹状細胞療法」も、樹状細胞を介してT細胞を刺激してがんを攻撃するという目的は一緒ですが、こちらは、血中の樹状細胞を利用します。患者さんの血液から樹状細胞を取り出して、体外でWT1ペプチドを目印として覚えさせ、それを再び患者さんの体に投与します。
WT1がん免疫療法 治療方法 WT1ペプチドがんワクチン WT1樹状細胞療法 免疫の方法 皮膚の樹状細胞 血液から採取した樹状細胞 がんの殺傷に働く
細胞WT1特異的T細胞※ WT1特異的T細胞 免疫反応 患者さんの体力が落ちると皮膚免疫も落ち、効果が出にくくなる 体外でベストな条件にてWT1ペプチドと結合した樹状細胞により免疫を活性化するため、患者さんの体力が落ちた状態でも十分な免疫反応を起こしすい 治療対象 基本的には治験でしか受けられない 自由診療のためほとんど制限がない 対象がん種 ごく一部のがんにしか使えない ほとんどのがんに使用できる 他の薬との併用 他の有効な薬との併用は困難 他の有効な薬と自由に併用することができ、
ベストな治療が行える長期投与 繰り返し長期投与することが容易 繰り返し長期投与することがやや困難 費用負担 治験のため患者さんの費用負担なし 自由診療のため全額患者さん負担 杉山先生提供資料をもとに作成
※ 特異的T細胞…獲得免疫のT細胞と同意
私はがんについて説明するときに、「がんは、親がコントロール不能になった親不孝な子どものようなもの」という表現をよく使います。がん細胞は、自分自身から生まれた、いわば子供のような存在です。自分の免疫細胞にとってがんは、たとえ親不孝者であってもかわいい子どものようなものですから、攻撃をためらってしまいます。
しかし、そうしている間にもがんは増殖して、最後には手に負えない大きさになって、親である自分を破滅させてしまいます。
「WT1がんワクチン」は、がん抗原を外部から体内に投与することで、攻撃をためらっている免疫細胞に「がんは直ちに排除すべき異物(敵)」であると、明確に伝える療法であると言うこともできます。
- 2つの療法を比較して、効果の面で違いはありますか?
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「WT1ペプチドがんワクチン」の場合、患者さんの体力が落ちると皮膚免疫の働きも低下するため、治療効果が出にくくなってしまうことが予想されます。対して、「WT1樹状細胞療法」は、患者さんの体外で樹状細胞とWT1ペプチドを結合させてワクチンを作りますから、体力が落ちている患者さんには、「WT1樹状細胞療法」のほうが効果的と言えるでしょう。
- 2009年、NCI(米国 国立がん研究所)は、免疫療法の標的となりうる世界の代表的な75種のがん(関連)抗原のうち、WT1をもっとも有用性のある抗原と評価しました※3。その理由をどのように考えますか?
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がん細胞の目印(がん抗原)にはいくつもの種類があることは先述しましたが、どの目印をターゲットとして攻撃するかによって、その治療効果は変わってくるため、目印の選択は非常に重要となります。
NCIによる評価項目はいくつかありますが、大きな理由としては、WT1はがんの種類を問わずほとんどのがん細胞に発現している目印であり、さらにがん幹細胞に発現しているという「特異性」や、それをターゲットとした際の治療効果の高さが挙げられると思います。
実際、「WT1がん免疫療法」はさまざまな部位のがんの治療に効果が期待でき、さらに副作用がほとんどないという安全面でも注目されています。
※3 Cheever M A, Al lison JP, Ferris AS, Finn OJ, Hastings BM, Hecht TT, Melman I, Prindiville SA, Viner JL, Weiner LM, Matrisian LM: The prioritization of cancer antigens: A National Cancer Institute pilot project for the acceleration of translational research. Clin Cancer Res 2009; 15: 5323-5337.
- こうしてお聞きしていると、先生が医学部生の頃から抱いてこられた「もっとも手ごわい相手であるがんに立ち向かって患者さんを救う」という目標は、達成されつつあると言えるのではないでしょうか。
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そのとおりです。かなり目標に近づいてきたと思います。日本、米国、ヨーロッパから「WT1がん免疫療法」が有効であるという論文が数々公表されており、企業治験も進行していますので、近いうちに薬になるものと思っています。
ポイントまとめ
- 70年代に起こったがん免疫療法のブーム。だが、免疫システムの理解が十分でなかったこと、十分な治療効果が得られなかったことから定着しなかった
- 「がん抗原」とは、がん細胞に発現する特徴的なタンパク質で、自分以外の異物を攻撃・排除しようとする免疫細胞の攻撃のターゲットとなるもの
- がん抗原「WT1」は白血病研究から発見され、現在、「WT1」の測定は、白血病治療に必須の検査として確立している
- 「WT1」抗原は、NCI(米国 国立がん研究所)により、それを目印とした場合の治療効果の高さなどから、主要ながん抗原の中でもっとも有用性が高いと第一位に評価された
- 杉山医師は、この「WT1」を一部改変して免疫への影響力を強めた人工抗原の「WT1ペプチド」を用いたがん免疫療法を開発し、臨床試験を実施して有望な治療効果をあげている
第二回のインタビュー内容は下記より
取材にご協力いただいたドクター

杉山 治夫 (すぎやま はるお) 先生
大阪大学医学部卒業。大阪大学医学部病態生体情報学教授、同大学大学院医学系研究科機能診断科学教授。現在、大阪大学名誉教授・大阪大学大学院医学系研究科特任教授。専門は発がん機構の解析、がん免疫、造血幹細胞の増殖分化機構の解析に関する研究。
WT1が白血病の新しい腫瘍マーカーであることを世界に先がけて発見し、日本では2007年に急性骨髄性白血病の、2011年には骨髄異形成症候群に有効な検査として保険適用となる。その後、「WT1」を標的としたがん免疫療法の開発に取り組み、人工抗原「WT1ペプチド」を開発。現在ではWT1ペプチドがんワクチンの企業治験やWT1ペプチド樹状細胞ワクチン療法の自由診療やWT1樹状細胞ワクチン療法の保険適用を目指した治験が行われている。
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