【特集記事】乳がん細胞を可視化する世界初の技術で、手術のあり方を変える。 再発・転移リスクの軽減を期待

公開日:2019年02月28日
乳がん細胞を可視化する世界初の技術

手術の時にスプレーで噴きかけるだけで、がん組織を光らせて周りの正常組織と区別できる――そんな試薬が医療現場で活用される日が近い将来やってきそうです。ヒトのがんを可視化する技術は世界初であり、手術のあり方を大きく変えるかもしれません。開発者の一人である済生会唐津病院外科の上尾裕紀先生に蛍光型がん診断薬について伺いました。

目次

術後5~10%で乳がんの取り残し

乳がんの取り残し

私たちの体の細胞に異常が起きて、細胞自らが無秩序に増殖し続けるのががんです。

がんには、発生した場所(部位)から全身に移行する「浸潤がん」と、その場にとどまっている「非浸潤がん」があり、浸潤がんはがん細胞が血管、リンパ管に入って遠隔転移します。

がんが早期に見つかって、原発部位(がんが最初にできたところ)にとどまっていれば、それを手術で丸ごと取り除くことで完治が可能です。

患者さん・外科医の思いはひとつ、手術でがんを完全に取り去り、完治を目指すことです。乳がん手術においては、乳房切除であれば、乳腺を全摘しますのでがんの遺残の可能性は低いです。

しかし、乳房部分切除では、手を伸ばしたがんが残した乳房の中に残っている可能性があります。乳がんはくもの巣のように張った乳管の中にできるので、手術で余裕をもってがんを切除してもその先にがん細胞が侵入していることもあるからです。

がんは正常組織と目では区別がつきませんので、しっかり切除したつもりでも、“もしかすると”、という不安があります。がん細胞が残れば、当然、残ったがんからの局所再発や転移が発生する可能性があります。

年間100例を手術すると、5~10例は術後、切除した切り口でがんが見つかるといわれています。そのため、取り残しがないように手術中に切除した組織を病理診断で確認することが大切で、病理医より断端にがん細胞がないことをみてもらい手術を終えます。

しかし、日本では大学病院などの大きな施設以外では病理医が常駐している施設は少なく、手術中に確認できないのが現状です。また、病理医が不足しており、数少ない病理医に手術検体が集中することになり、病理医一人の相当の負担がかかっているのが現状です。

試薬散布1、2分でがんが発光。術中のがんを可視化

私は、こうした手術にまつわる不確実性を解決するひとつの方法として、手術中にがんのあるところを着色したり、光らせたりして「がんが見えるようにする」=「可視化する」研究を始めました。シンプルにがんに色がついて見えて、その場所を取れないかと考えたわけです。

がんの可視化を目指した研究が、東京大学(薬学系研究科・浦野泰照教授)でも進められていることを知りました。がんがある種のタンパク質分解酵素と反応することで光を発する蛍光プローブ(特定の分子と反応することで、蛍光を発したり色調が変化するという特徴を持った分子)の開発です。

プローブとは生化学の分野で使われる用語で、ある物質を検出するために用いる有機化合物のことです。マウスの実験ではがんが光ることは確認されていましたが、ヒトのがんでも光るかどうかは不明でした。

私は乳がんにその蛍光プローブを使えないか浦野教授に相談しました。一度乳がんの検体で実験しましたが、期待した反応は得られませんでした。その結果を浦野教授に報告すると、浦野教授は私のところに駆けつけてくれました。そして、一緒に蛍光プローブの諸条件を細かく調整しながら、実験を繰り返しました。

最終的に、蛍光プローブを含んだ試薬を乳がんの標本にスプレーすると、1~2分後、暗闇から一気に浮き上がってくるように緑色の光を発しました。

開発した蛍光プローブは、アミノ酸とキサンチン系染料のローダミン類などの蛍光分子を結合させたもので、もともとは無色で光も発していません。がん細胞が出している物質と蛍光プローブが反応することではじめて蛍光します。

がんを光らせるしくみは、乳がん細胞の表面に出ているγ‐グルタミルトランスペプチダーゼ(GGT)というタンパク質分解酵素と蛍光プローブが出会うと加水分解され、蛍光分子がアミノ酸と切り離され、がん細胞の中に取り込まれることで蛍光を発します。

がんを可視化

※画像はイメージです。

再発・転移リスクの軽減や、乳房温存手術への応用も期待

ヒトの手術検体で初めて成功したことで、医療現場での蛍光プローブの応用が現実味を帯びてきました。

開発した蛍光プローブが実用化されると、病理医のいない医療機関でも手術中のがんの取り残しがないことを確認し、自信をもって手術を終えることができるようになるでしょう。患者さんにとってもがんの取り残しによる再発や再手術の心配が軽減されます。

この技術は乳房の温存という点でも福音になると思います。乳がんの患者さんの中には、できるだけ切除する範囲を小さくして、乳房を残す温存手術を希望する人もいます。その半面、乳房温存手術には取り残し、再発の懸念があります。取り残しを心配して大きく切除すると、乳房の形を保てず、患者さんの希望が叶えられません。

手術中、外科医の頭の中はこの相反することがせめぎ合っています。手術中にがんのある場所が見えれば、外科医はその苦悩から解放され、患者さんの希望をある程度叶えられると思います。実用化に向けて、現在、できるだけ早く薬事承認の申請ができるように臨床データを集積しています。

今後の課題と、他がん種への適応

上尾先生

しかし課題もあります。GGTと反応する蛍光プローブは乳がんだけでなく、良性の乳腺腫症でも光るため、明確に判別する必要があります。実際は良性腫瘍と悪性腫瘍とでは光り方が微妙に違いますが、たとえば、良性は青、悪性は緑に光るようにしてはっきり区別するなど工夫が必要です。

また、GGTと反応する蛍光プローブを食道がん、肝臓がん、大腸がんなど、他のがん種に使っても光りません。これらのがんでは、GGTは出ていないと考えられます。今後はそれぞれのがんの特徴に合わせた蛍光プローブを開発することで、乳がんだけでなく、あらゆるがん種での適応も期待されます。

特に、がん悪性度の高い胆のう・胆道がん、膵臓がんなどは、手術で取り残すと、予後に大きく影響するので、蛍光プローブの需要が高いかもしれません。


ポイントまとめ

  • ・乳がんに蛍光プローブの試薬を散布すると、1、2分でがん組織が光るという新しい技術
  • ・手術でがんの取り残しを防ぐことが可能になり、再発・転移リスクの軽減や乳房温存手術での応用も期待される
  • ・がんの特徴に合わせた蛍光プローブを開発することで、あらゆるがんに応用できる可能性があり、再発のリスクの軽減が期待される

■適応広がる乳房温存手術

乳房温存手術

がん細胞はリンパ液の流れに乗って、周辺のリンパ節に入り込み、転移を起こすことが知られています。

乳がんが転移しやすいのは、乳房周囲のリンパ節、主に腋の下の腋窩(えきか)リンパ節で、さらに骨、皮膚のほか、遠く離れた肺、肝臓、脳などに転移します。

腋窩リンパ節は次のように、3つのグループに分けられます。

  • ・レベルI 小胸筋外縁より外側のリンパ節
  • ・レベルII 小胸筋の後ろ、または大胸筋と小胸筋の間のリンパ節
  • ・レベルIII 鎖骨下の小胸筋内縁より内側のリンパ節

リンパ節転移は、一般にレベルI→レベルⅡ→レベルⅢの順に進むと考えられています。

しかし、手術前の検査ではがんがリンパ節に転移しているかどうかは正確にはわかりません。そのため、手術では腋窩を中心にリンパ節郭清(かくせい)※が行われ、転移の有無が調べられてきました。

リンパ節郭清を行うと、術後、腕が上がりにくくなったりするほか、しびれ、むくみなどの症状が生じることがあります。今日では手術前にリンパ節転移が明らかな場合に限って腋窩リンパ節の郭清が行われます。

手術前にリンパ節転移が明らかでない場合、センチネルリンパ節生検が行われます。センチネルリンパ節とは、乳房の原発巣から出たがんが最初に転移するリンパ節です。センチネル(sentinel)は「見張りをして守る」という意味があります。センチネルリンパ節に転移がなければ、ほかのリンパ節にも転移していない可能性が高いと考えられます。

センチネルリンパ節を摘出し、顕微鏡で調べ、転移が見られなければ、それ以上のリンパ節郭清を省略しても再発率に影響がないことがわかっています。また、術後の薬物療法や放射線治療を積極的に行えば、腋窩リンパ節郭清を省略できる可能性も報告されています。

近年、乳がんの検査・診断技術が発展して早期治療が可能になり、さらに化学療法、分子標的薬などの開発・普及によって、乳房温存手術の適応が広がっています。

乳房温存手術では、根治性を損なわないしっかりとした部分切除と、その欠損部をバランスよく充填し整容性を保つことが重要になります。乳房の大きさや形、性状には個人差があり、がんの位置も異なるため、それぞれの患者さんごとに欠損部を充填する方法を検討します。

※手術の際に、がんの周辺にあるリンパ節を切除すること

取材にご協力いただいたドクター

上尾 裕紀 (うえお ひろき) 先生

済生会唐津病院外科


関連記事

※掲載している情報は、記事公開時点のものです。