【特集記事】腹水を抜いて元気になる!医療の常識を覆したがん性腹水の治療法とは?

公開日:2019年09月30日
要町病院 腹水治療センター センター長/要第2クリニック 院長
松﨑 圭祐(まつさき けいすけ)先生

進行がんの症状として、患者さんのおなかに大量の水(腹水・ふくすい)がたまる場合があります。腹水がたまると患者さんのQOL(生活の質)を大きく下げたり、体の機能に悪影響を及ぼしたりしますが、がん治療の現場では『腹水を抜くと体が弱る』という理由で、手つかずの状況が続いていました。

ところが、こうした常識を覆した医師がいます。それが、東京都豊島区の要(かなめ)第2クリニック院長で要町病院腹水治療センター長の松﨑 圭祐(まつさき けいすけ)先生です。松﨑先生が開発した『KM-CART(ケーエム・カート)法』は、腹水中に含まれる必要な成分だけをろ過して体に戻すことにより、体を弱らせることなく、大量の腹水を除去することができるといいます。松﨑先生に、『KM-CART法』の開発秘話や実績、今後の可能性についてお話を伺いました。

目次

患者さんを苦しめる腹水。なぜ、抜いて症状を緩和できないのか?

がんが進行すると、おなかに大量の水がたまる腹水が起きることがあります。胃がん、大腸がん、膵臓がん、卵巣がんなどでみられる症状で、おなかの中に散らばったがん細胞が炎症を起こし、その影響で血管から水分や血液成分が染み出すことから生じます。

多いときには20ℓ以上の腹水がたまることもあり、大量の腹水がたまるとおなかが張って食事ができなくなったり、肺が押されて呼吸が苦しくなったりするなど、QOL(生活の質)の低下を招きます。

さらに、臓器が圧迫されることによる機能低下や、周囲の血管が圧迫されることで、血管を通って作用する利尿剤や抗がん剤の効きも悪くする、といったことも起こる場合もあり、患者さんの身体機能を著しく悪化させてしまう原因となります。

このように聞くと『たまった水を抜けばいいのでは?』と思うかもしれません。ところが、がん治療においては『腹水を抜くと体が弱る』というのが常識となっており、その理由を松﨑先生は、次のように説明します。

「腹水中にはがん細胞や細菌のほか、栄養に関わるアルブミンや免疫に関わるグロブリンというタンパク質が大量に含まれていて、これを抜いてしまうと栄養状態が急速に悪化して全身状態が悪くなり、さらに腹水がたまりやすくなるという悪循環を招きます。患者さんが腹水で苦しんでいても、こうした理由から医師は腹水を抜きたがりません。」(松﨑先生、以下同)

「腹水は一度に大量に抜くと血圧が下がり循環不全を起こして、ひどい場合はショック症状につながることもあります。そのため、抜くとしても一度に1~2ℓの少量に限られます。10ℓ以上の腹水がたまっている患者さんにとって、これでは症状緩和効果は得られません。また、少量抜いても2、3日でもとに戻ってしまうために、抜いても意味がないと言われて、患者さんはひたすら我慢を強いられるという状況なのです。」

従来の腹水治療の課題とは?

これまで腹水の治療法が開発されてこなかったわけではありません。海外で始まり日本に導入された、腹腔(ふくこう)※1と大静脈を逆流防止弁付きのチューブでつなぎ腹水を血管内に戻す『腹腔・静脈シャント術』はその1つです。

「ただし、この方法だと血管内で血液が凝固したり、心不全など危険な合併症を起こしたりする可能性があります。何よりも、腹水に大量に含まれているがん細胞を全身に散布してしまうことになります。手技も簡単ではなくチューブが詰まりやすいので、今ではごく一部の施設で行われているのみです。」

※1 体のなかにある空間のひとつで、横隔膜(おうかくまく)より下の、おなかの内臓が入っている場所を指す。そのまわりは主に筋肉でできた壁によって囲まれている。

腹水から必要な成分だけを取り出し、体に戻すという方法も開発されています。それが、1997年に外科医が考案し、1981年に保険承認された『CART法(腹水ろ過濃縮再静注法)』です。これは、抜いた腹水を特殊なフィルターでろ過し、必要な成分だけを濃縮したうえで静脈内に戻すというものです。がん性の腹水治療としても期待されましたが普及に至りませんでした。

「CART法は、主に肝硬変などに伴う肝性腹水の治療で使われてきました。次第にがん性腹水治療でも試されるようになりましたが、がん性腹水には肝性腹水に比べ、多くの血球成分やがん細胞、粘膜成分が含まれていることから、2ℓも処理するとフィルターが目詰まりして、途中で中止せざるを得なくなるのです。

また、同法では高い圧力をかけて腹水をろ過するので、腹水中に含まれる弱ったがん細胞が壊れたり、白血球に過度な刺激が加わったりして、炎症物質が産出されてしまいます。これを体内に戻すと高熱や体の中で血のかたまりができるなどの副作用・合併症が生じます。

さらに専用機器も高価で手技も煩雑……。結局、大量のがん性腹水を抜く治療への応用は難しく、1990年代にはがん医療の医療現場から消えていきました。」

『CART法』を改良し、欠点を補って生まれた『KM-CART法』

がん性腹水に対しては不向きだと分かった従来の『CART法』。しかし松﨑先生は、これらの欠点を補うことができれば、患者さんのQOL(生活の質)向上につなげられるのではと考えたのです。背景には、松﨑先生の医師としてのキャリアが深く関係しています。

「私は広島大学医学部を卒業後、がん治療医を目指して、広島大学医学部附属病院で消化器外科を担当する医局に入局しました。その3カ月後にたまたま故郷の高知県の実家に帰省したら、母親が卵巣がんになっていることがわかりました。どうしようか思案していたところ、1981年に開院した高知医科大学医学部附属病院で医師を募集していることを知り、翌年に故郷へ戻ることにしたのです。」

「高知医科大学では外科に入局し、消化器外科と心臓外科に携わり、体外循環や人工心肺装置とろ過膜研究、循環管理を経験。「今は心臓手術の際は臨床工学技士が体外循環を担当しますが、当時は医師が全てを行っていました。教授から与えられた学位論文のテーマが『体外循環とろ過膜』だったので膜の研究や循環管理にも携わり、これらが後に『CART法』改良のアイデアにつながったのです。」

「さらに2年間は病理医としてがんの診断や基礎研究を実践。1989年からは山口県の防府消化器センターへ移り多数のがん治療・研究、腹水症例、緩和医療を経験するなか『CART法』に出会い、その欠点に気づきました。「高知医科大学時代にクラレメディカル社と共同で膜研究をしていたため、同社に改良しようと持ちかけたのです。」

松﨑先生は従来のCART法の課題であった『炎症系物質が生まれて副作用を引き起こす』『すぐ目詰まりする』という点について、吸引器を利用する方法や、従来の『CART法』で採用されていた内圧式のろ過方法を、逆の『外圧式』に変更すればいいと気づきました。

「『CART法』では、おなかから取り出した腹水を、ポンプを使ってろ過フィルターに押し込んでいましたが、高い圧力をかけることにより、がん細胞やリンパ球に過度な刺激が加わり、細胞が壊れたり高熱などの副作用を起こしたりする物質を生んでいました。ポンプに代えて吸引器を使い、低い一定の陰圧に変えることで、それを避けられるようになったのです。

また、ちくわなどを想像するとわかりやすいのですが、円筒状のものは内側よりも外側のほうが面積は広く、ろ過能力はフィルターの面積に比例するので、外圧式(外から内へろ過する方法)の方が目詰まりしにくくなります。疑似装置を作り実験したところ、3ℓがわずか3分で処理できました。」

汎用の医療機器を使用するKM-CARTシステムは、仕組みも簡易でコストもかからないという

内圧ろ過方式と外圧ろ過方式の違い

図:松﨑圭祐先生提供資料より作成

KM-CART法でもフィルターは途中で目詰まりを起こしますが、外圧式にしたことで、内側から外側へ生理食塩水を流す『ろ過膜逆洗浄(ろかまくぎゃくせんじょう)』も可能になりました。これにより施術を中断することなく処理を続けることができ、1回で20ℓ以上のがん性腹水に対応するシステムが2008年に完成しました。

「数々の工夫によって副作用が減少しただけではなく、高額の専用ポンプ装置も不要、簡便で迅速、安全に腹水処理ができるなど、ろ過濃縮の理にかなったCARTシステムが誕生しました。これまで携わってきた医療や研究がつながった格好です。将来は海外に拡がればという願いを込め、私のイニシャルと共同開発した企業の頭文字を取り、『KM-CART』とネーミングしました。」

「2009年には『CART研究会』を立ち上げ、学術集会や臨床研修会、出張指導といった普及活動も開始。2011年には『KM-CART法』の普及とがん治療、研究への活用を目指して、東京・要町(かなめちょう)病院へ転任し、世界初の腹水治療センターを設立しました。2019年10月現在、KM-CARTの治療数は7000例を超えました。九州や中国地方、近畿地方などを中心に、80か所以上の医療機関で導入が進み、『腹水難民』を救う手段として支持されています。」

要第2クリニックの腹水専門外来には、KM-CARTの治療を希望して全国から多くの患者さんが訪れる

腹水は積極的に抜く時代へ。免疫療法への応用も期待

『KM-CART法』は腹水をろ過する過程で必要な成分とそうでない成分を分け、必要なタンパク質などは濃縮して静脈から体内へ戻します。これにより栄養状態や免疫機能の改善も見られるそうです。

「その結果、再び利尿剤が効くようになり腹水がたまりにくくなる好循環がみられた患者さんもいました。臓器の働きが良くなり食事もとれるようになります。起きることもままならなかった方が苦しさがとれて体の状態が良くなり、諦めていた化学療法を再開されたケースもありました。」

『腹水を抜くと体が弱る』と言われていたのは過去の話かもしれません。松﨑先生の『KM-CART法』では、『腹水を抜けば元気になる』が実現されています。さらに『KM-CART法』には、他のがん治療への応用も期待されているといいます。

「ろ過したフィルターを洗浄した際に回収される液体(膜洗浄液)のなかには、がん細胞やがんと闘うリンパ球などの免疫細胞などが多量に含まれています。これまでは廃棄されていましたが、これらは、抗がん剤の感受性試験や『樹状細胞ワクチン療法』といった、免疫細胞療法に役立てることができると考えています。」

がん免疫療法のひとつ『樹状細胞ワクチン療法』は、患者さんの体から採血により『樹状細胞(免疫細胞の一つ)』を取り出し、がんがもつ目印(がん抗原)を覚え込ませ、再び体内に戻すことでがん細胞を攻撃することを狙った療法です。

がん抗原はがん細胞から採取したものを使用する場合と、人工的に作られたものを使う場合があり、人工的なものは人工抗原と呼ばれています。

患者さんから採取したがん細胞を使えば、患者さん一人ひとりにより適した治療も可能ですが、手術などでがんの組織が採取できない場合もあり、また採れたとしても、純度が低い組織だとがん抗原として役割を果たさないこともあるため、人工抗原を用いるのが一般的です。

そこで着目したのが、『KM-CART法』で腹水をろ過した際に採れるがん細胞です。『KM-CART法』では、高純度で鮮度が高いがん細胞が回収できるため、回収したがん細胞からがん抗原を採取し、樹状細胞ワクチン療法に応用することで、より効果的な治療が行える可能性があるといいます。

松﨑先生は現在、東京ミッドタウン先端医療研究所など免疫細胞療法の専門治療施設と協力して、KM-CARTから回収されたがん細胞を使った樹状細胞ワクチン療法の臨床応用にも着手しています。

KM-CARTのろ過膜逆洗浄で回収された多数のがん細胞(スキルス胃がん)

松崎先生の考える癌性腹膜炎に対する治療戦略

これまでの医療の常識を覆して、患者さんのQOL(生活の質)維持・向上に大きく貢献するとともに、さらにはがん治療薬の開発や新規治療への応用も期待されている、『KM-CART法』。松﨑先生も「さらなる普及・活用を目指して尽力します。」と決意を述べました。

ポイントまとめ

  • がん性腹水は、進行がん患者さんを悩ませる大きな課題。ただし「抜くと体が弱る」ため、有効な手立てがなかった
  • 従来の『CART法』の弱点を補い、がん性腹水に対応したのが、松﨑先生が開発した『KM-CART法」。2019年10月現在、7000以上の症例があり、 症状緩和とQOL(生活の質)の改善などに効果を発揮している
  • 『KM-CART法」で回収したがん細胞やリンパ球を、新たな抗がん剤の開発や、免疫細胞療法(樹状細胞ワクチン療法)に応用するといった取り組みも始まっている

取材にご協力いただいたドクター

松﨑 圭祐 (まつさき けいすけ) 先生

医療法人社団 愛語会  要町病院 腹水治療センター  センター長
要第2クリニック  院長
高知医科大学医学部臨床教授
CART研究会事務局長
医学博士

コラム:樹状細胞ワクチン療法とは

樹状細胞ワクチン療法は、がん免疫療法のひとつで、免疫細胞の1つ「樹状細胞」の力を利用してがんを治療する治療法です。樹状細胞が免疫に与える役割のしくみは、米国ロックフェラー大学のラルフ・スタインマン教授によって発見され、2011年ノーベル医学・生理学賞を受賞しました。樹状細胞ワクチン療法は、現時点では保険適用外の治療法ですが、多くの臨床研究や論文が発表され、標準治療との併用など、さまざまな場面での免疫療法の活用が期待されています。

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