【特集記事】がん治療とQOLを向上させる口腔ケア

公開日:2015年03月31日

口の中に現れる症状には、全身状態と関連の深い場合があり、口腔ケアを行うことで、がん治療の化学療法や放射線療法による口腔内のトラブルの予防や重篤化させないようにすることが期待できます。がん治療と口腔ケアの関係について鶴見大学歯学部口腔内科学(口腔外科学第二)講座教授 里村一人先生にお話を伺いました。

目次

がん治療と口腔ケアの関係

 口腔内科とは聞きなれない名称かと思いますが、口の中のさまざまな症状や疾患全般に対し、診断や治療を行う診療科です。口の中に現れる症状には、全身状態と関連の深い場合があります。その1つが、化学療法中のがん患者さんの多くが悩む口内炎でしょう。

化学療法を行うとさまざまな副作用が生じることはよく知られています。これは薬が全身に作用するため、がん細胞を攻撃するだけではなく、正常な細胞にもダメージを与えるからです。口の中では表層の粘膜が速いサイクルで生まれ変わっています。しかし、化学療法の影響で新陳代謝が途切れると、口腔内の粘膜がただれたり、潰瘍ができたりしてしまうのです。そうなると痛みが出て、食事がとりにくくなるなどQOL(生活の質)も低下。

また、重篤な場合には傷んだ粘膜から菌血症や敗血症などの感染症が起こる場合もあります。それだけではありません。このように口腔内で生じた副作用の症状が重篤化すると、使いたい抗がん剤の量、投与したいタイミングなど、がんの治療が予定通りに進まずに支障を生じることもあるのです。

一方、局所療法の放射線療法でも口腔内に副作用が生じることがあります。舌がんや咽頭がん、食道がんなどで放射線療法を行う場合、がんそのものをターゲットにして放射線を当てるのですが、口に近い部分なので口腔内にも放射線が及ぶことは避けられません。すると化学療法の副作用と同じような影響が生じてしまいます。

では、こうした化学療法や放射線療法による口腔内のトラブルの予防やそれを重篤化させないようにするためにはどうしたらいいのでしょうか。化学療法開始前に歯周病を管理しておく、う蝕(虫歯)、歯根嚢胞(歯の根っこに膿の袋ができている状態)の治療をするなど、口腔ケアをしておくことが重要なのです。

ご存知のように、歯科治療には時間がかかります。入院・手術や化学療法などの治療計画が決まってからでは間に合いません。時間的に十分な治療が受けられません。しかし多くの場合、がんの疑いがあり、検査を経て診断が確定し、実際の治療が始まるまでには数週間あるはず。ぜひ、この間に歯科受診をして、歯石の除去、歯周病が進んでいれば少なくとも炎症のあるところの治療を行っていただきたい。

また、抜くべき歯があれば抜歯しておいたほうがいいでしょう。できる限り口の中を清潔にし、より良い状態にしておくことが大事です。もちろん、いちばんいいのは日頃からかかりつけの歯科医院で定期検診を受けるなど口腔内の管理をしておくことです。

がん治療中の患者さんが歯科治療や口腔ケアを受ける場合には、主治医やがん診療連携拠点病院などに相談し、がん治療の知識を持った歯科医を探すといいでしょう。がんの治療中でも安心して歯科を受診できるよう、 厚生労働省が認めた講習会で研修を受け、がん治療を安全に受けるための歯科治療や口腔ケアについての知識を習得した歯科医師や歯科衛生士がいる「がん連携歯科医院」も増えてきています。

口から食べて栄養をとることの重要性と口腔ケア

 がん治療における口腔ケアには、副作用の予防・軽減以外にも大事な目的があります。口から食べて栄養をとるということです。がんの治療として近年は「栄養療法」も重要視されるようになってきました。どんなに治療に手を尽くしても、食べられないと栄養障害を招き、なかなか良くなりません。もちろん、中心静脈栄養や経鼻胃管栄養、胃ろうなど、栄養補給の方法はいろいろとあります。

しかし、口から食べて腸管を通さないと、腸管の粘膜が廃用性萎縮をきたします。そうなると再び口から食べようとしても、腸管内を食物が通過しにくくなったり、栄養を吸収する力も低下してしまいます。また、よく知られているように、長く口から食べないでいると、噛む、飲み込むといった力が衰えてしまうのです。

口から食べて栄養を摂らないと、免疫機能にも悪影響が及びます。口や腸管は、体内にありながら外界と直に接している器官です。ですから、口腔粘膜の細胞は絶えず分裂と増殖を繰り返しながら、有害なものが体内に侵入しないように働いています。腸管もまた、入ってきたものを消化し、体に必要な栄養素だけを吸収すると、細菌やウイルスなど害のあるものは排除するという役割を果たしています。そのため、免疫器官であるリンパ組織が腸管に多く分布しています。

ところが、こうした役割を担っている腸管の粘膜が廃用性萎縮をきたすと、免疫系が働きにくくなるので傷つきやすくなる。つまり、免疫機能が低下し、腸管の中の細菌が体内に入り込みやすくなるわけです。口から食べて消化管すなわち腸管を通すことはさまざまな視点から大事であることがおわかりいただけると思います。そして、このように重要な「口から食べる」ことを支えているのが、口の健康であり、口腔ケアなのです。

口腔ケアというと歯磨きやブラッシングと思いがちですが、こうした日常的なケアだけではなく、「歯科人間ドック」というのがあります。虫歯や歯周病だけではなく、唾液・舌・粘膜・口臭・かみ合わせの状態や、レントゲンなどから口腔内の状態をチェックして、病気などの早期発見と早期治療につなぐ健診システムです。歯科人間ドックで行う検査の内容は医療機関によって異なりますが、私が常任理事を務めている日本歯科人間ドック学会では、問診・レントゲン撮影・全身所見・口腔外検査・口腔内検査を基本メニューとして推奨しています。口腔がんの早期発見にもこの歯科人間ドックが役立ちます。

口腔がんの内科的治療方法の開発が課題

 口腔がんは、口の中にできるがんを総称した呼び方ですが、舌、歯肉、口蓋など、口の中のどの部位にがんができたかで、いくつかの種類に分類されます。いちばん多いのは舌がんですが、総じて口腔がんは増加傾向にあり、女性よりも男性に多い。これは飲酒量や喫煙習慣などが関係しているのではないかと考えられています。

がん治療の基本は、がんを取り除く手術です。これに薬物療法や放射線療法などを組み合わせ、局所と全身に対する治療を行います。早期発見が重要視されるのは、がんが大きくなると手術の規模も大きくなり、リンパ組織郭清を含む手術の範囲も広くなってしまうからです。

口腔がんの手術に際しては、口は「食べる」「話す」という重要な役割を担っているので、できるだけQOLを低下させないように、舌など口の中の器官や機能を温存する治療法が選択されます。

また、口は顔の一部なので、容貌の変化にも配慮する必要があります。そのため舌や顎の骨などを切除する場合には、機能や容貌を損ねないように再建術も行います。舌を切除した場合には、前腕や腹部の筋肉を移植して舌を再建し、顎の骨を切除した場合には骨を移植するという具合です。

しかし、形状は再建できても、機能は完全には元通りにはなりません。例えばうまく噛むことや飲み込むことができないと、誤嚥性肺炎を引き起こすおそれがありますし、話したり、笑ったりという機能に支障があると感情の発露やコミュニケーションにも影響を及ぼすので、生活面だけではなく精神的にもダメージを受けることが少なくありません。

こうしたことから口腔がんでは、大きな手術にならないように、そして術後の容貌や機能にダメージが少ないようにするためにも、早期発見・早期治療が大切なのです。患者さんには口の中の健康に関心を持って、早期発見につながるようにケアしていただきたいですね。そして私たち医療者側は、胃がんや大腸がんでは早期発見による初期治療方法として低侵襲な内視鏡治療が開発されたように、口腔がんでも低侵襲の内科的治療方法を開発する使命が課されていると考えています。

早期発見につなげる「自己検診」の普及と将来の夢

 口腔内科は、負担の少ない低侵襲的な治療を積極的に行うことにより、よりよいQOLを維持した口腔機能の回復、維持に貢献する新しい歯科医療分野です。新しい分野なので、現在口腔内科学関連講座があるのは、鶴見大学を含めて全国で7大学だけです。鶴見大学では口腔がんに対しては、手術を中心とした従来的な外科治療に加え、低侵襲の内科的治療方法として口腔がんに対する樹状細胞療法など先進医療にも力を注いでいます。

臨床と研究で1人でも多くの口腔がんの患者さんを助けたい。その原動力になっているのは、これまでに出会った患者さんとそのご家族の存在です。口腔がんは治療範囲が頭頸部に及び、容貌の変化などの影響も大きい。ご高齢の患者さんがお孫さんに会いたくても、幼い子どもには顔に包帯やガーゼがあると怖く見えて泣き出してしまうことがあります。

逆に少し年長のお孫さんから「僕のおじいいちゃんを治して!」と言われたこともありました。私の白衣の裾をつかんで、泣きながら、そう言われたことは、一度や二度ではありません。がん治療は、患者さんご本人だけではなく、ご家族もその対象なのだと実感しています。

1人でも多くの患者さんを救うために、つまり口腔がんの早期発見のために、歯科人間ドックのほかにも私が取り組んでいるのが、「自己検診システム」の開発と普及活動です。乳がんは定期的にセルフチェックを行うことの重要性や具体的なチェック方法が知られるようになってきました。毎日の歯磨きで少なくとも1日に1回は自分で口腔内を見るチャンスがあります。これを生かしたいのです。

まず、正常な状態を知っておくこと。そして、口の中のどこを、どのように見ていけばいいのか。注意すべき異常、トラブルとはどういう状態なのか。こういう情報をみなさんに伝えていきたいと考えています。自己検診システムが普及し、「日本では口腔がんの早期発見・早期治療が定着しているので、大規模な外科手術が必要な症例はほとんどありません」と世界に向けて報告する。それが私の“夢”なのです。

ポイントまとめ

  • 化学療法や放射線療法による口腔内のトラブルの予防やそれを重篤化させないようにするために、化学療法開始前に歯周病を管理したり、う蝕(虫歯)、歯根嚢胞(歯の根っこに膿の袋ができている状態)の治療をするなど、口腔ケアをしておくことが重要である。
  • がん治療中、歯科治療や口腔ケアを受ける際は、がん治療の知識を持った歯科医から治療を受けるとよい。がん治療を安全に受けるための歯科治療や口腔ケアについての知識を習得した歯科医師や歯科衛生士がいる「がん連携歯科医院」も増えてきている。
  • 口から食べて栄養を摂らないと、免疫機能が低下し細菌が体内に入り込みやすくなる。「口から食べる」ことを支えているのが、口の健康であり、口腔ケアである。
  • 日常的なケアだけではなく、「歯科人間ドック」を受けることで、口腔ケアや口腔がんの早期発見や早期治療に役立つ。日本歯科人間ドック学会では、問診・レントゲン撮影・全身所見・口腔外検査・口腔内検査を基本メニューとして推奨している。
  • 口腔内科は、負担の少ない低侵襲的な治療を積極的に行うことで、QOLを維持した口腔機能の回復、維持に貢献する新しい歯科医療分野である。口腔がんでは、手術を中心とした従来的な外科治療に加え、内科治療方法として樹状細胞療法など先進医療にも 注力している。
  • 口腔がんでは術後の容貌や機能のダメージが少ないようにするためにも、早期発見・早期治療が大切。患者さんは口の中の健康に関心を持ち、早期発見につながるようなケアをすることが重要である。
  • 口腔がんの早期発見のために、歯科人間ドックのほかに「自己検診システム」の開発と普及に取り組んでいる。

取材にご協力いただいたドクター

鶴見大学歯学部口腔内科学(口腔外科学第二)講座教授 里村 一人先生

里村 一人 先生

鶴見大学歯学部口腔内科学(口腔外科学第二)講座教授

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