医師が考える 医師と患者のコミュニケーション

公開日:2011年08月01日

目次

消化器外科 草野 敏臣先生に医師と患者のコミュニケーションについて取材させて頂きました。

医師から「余命」を伝えられたら?

欧米人に比べ、日本人は「がん」という病名に敏感だと言われています。進行の程度や、「がん」の種類にかかわらず「がん」という言葉の響きに、非常に動揺する傾向があります。そのため、「がん」の診療にあたる医師の多くは、細心の注意をはらって患者さんとコミュニケーションをとっています。初発時の告知はもちろん、転移や再発のときの説明も、患者さんの年齢や性格、生活背景を考慮して言葉を選びます。ところが、検査結果や統計データを示して、「余命3ヵ月です」などと端的に話す医師も中にはいるでしょう。医学統計学上の事実のみを伝え、「今後は治療など考えずに好きなことをしたほうがいいですよ」と突き放すような言い方をされ、医師-患者間のコミュニケーションが断絶してしまうケースも少なくありません。そうしたとき、患者さんやご家族の気持ちはひどく傷ついたり、落ち込んだりしてしまうのも当然です。再発や転移で生命予後の見通しが厳しければ、自暴自棄になってしまう患者さんもいます。しかし、患者さんの気持ちの持ち方は、その医師の言葉にしばられる必要はありません。もし、「余命3ヵ月です」と伝えられたなら、「とりあえず3ヵ月間がんばろう」と気持ちを落ち着けること。そして3ヵ月たったらもう一度仕切り直して、また3ヵ月がんばる。そうやって、余命3ヵ月と言われた患者さんが1年以上生存したケースもあるのです。

ネットや書籍の情報は、必ず医師に相談すること

自分の「がん」がどういった状況で、どんな治療が残されているのか、インターネットや書籍でじっくり調べた経験のある患者さんは多いことでしょう。最近の患者さんの情報収集力は、医師や看護師も驚くほどです。しかし、熱心に調べれば調べるほど、出てくる課題もあります。「本で調べた新しい治療法について、主治医に相談してみてもよいだろうか?」という悩みです。気になる治療法があったとしても、主治医に話すと気分を害されたり、迷惑をかけたりするのではないかと、思い悩まれる患者さんは多いものです。ただ、こうした時の解決法は、実にシンプルで、辛抱強く医師とコミュニケーションを取るしかありません。なぜ、その治療法に興味があるのかなど、心の内側を正直に医師に伝え、医師の意見を納得がゆくまで聞くことです。死を意識している患者さんの意見・希望をないがしろにする医師はそんなにいるものではありません。むしろ、決してやってはいけないのが、“ネットや本の情報を信じ込み、医師の話を無視する”ことです。ネットや本の情報は、言うまでもなく玉石混淆で、中にはネガティブなことばかり書いているものもあります。運悪く不確かな情報を信じ込み、これからの「がん」治療が暗礁に乗り上げてしまっては、どんなに精神の強い人でも気がめいってしまいます。これまで共に「がん」と対峙してきたかかり付けの医師こそ、適切な方針を示してくれると思います。もしかしたら、もっと新しく正しい情報で「回復が見られた」「生存期間が伸びた」という治療法を見出してくれるかもしれません。

セカンドオピニオンを切り出すには・・・

ネットや本の情報と同様、セカンドオピニオンを希望することについても、患者さんが悩みやすい問題です。本来であれば、再発・転移などで猶予のない状態での治療、あるいは複雑でリスクの高い治療を受ける際は、複数の医師の意見を聞いて納得して受けることは患者に与えられた当然の権利です。セカンドオピニオンという言葉も、ずいぶん社会に浸透してきましたが、今でも医師によってはネガティブな反応を示す場合もあるのが現状です。新しい治療法を行うために必要な診療情報提供書を書いてもらえないこともあります。もちろん、医師は自分が行う治療法を信じての対応ですが、患者さんからすると困ってしまいます。こうした状況からどう抜け出すかに関しては、残念ながらすぐに解決できる方法はありません。結局、たゆまず医師とコミュニケーションを取ることが大切と言えるでしょう。セカンドオピニオンを希望する理由をていねいに医師に話し結果もちゃんと伝える、すなわち患者さんのほうから「先生を疑っているわけではない」と伝えるのです。その思いが通じれば医師も納得して、かえってコミュニケーションがスムーズに進むかもしれません。医師も治療方針に関して患者さんの納得の上、治療を進めたいと思っています。セカンドオピニオンを利用して比較をして頂き、しっかりと納得をしてもらった方が良いです。また、セカンドオピニオン後、患者さんが決断して主治医のもとへ戻ってきた(主治医の先生が説明してくれた治療法を選択した)時には、医師と患者さんの信頼関係はさらに深まるのではないでしょうか。

「よく生きる」ことをあきらめない

冒頭、日本人は「がん」という言葉に敏感であると書きました。転移・再発となると尚のこと、「がん」に対する恐怖心がつのり、時には自分の最期の時をイメージするかもしれません。しかし、そうしたときも医師と心が通じていれば、前を向くことができるというケースを実際に経験したことがあります。 とある高齢の女性の患者Aさんは、膵がんのステージⅣで非常に差し迫った状態でした。手術をするのが難しい状態で、余命は半年ほどでした。Aさんの旦那さんは余命を宣告され驚き、悲しみと怒りで混乱している状態でした。しかし、あきらめずに医師とのコミュニケーションを続けることによって、状況が理解できるようになり、Aさん夫妻は毎日の生活を大切にするようになりました。旅行にもでかけ、半年と伝えられていた余命は最終的に1年以上に伸びました。最初は怒りや混乱の中にいた旦那さんも、最終的には奥さんの死を受け入れることができました。 明治の俳人・正岡子規の随筆集『病牀六尺』の一節にこのようなものがあります。

「悟りということは如何なる場合にも平気で死ぬることかと思っていたのは間違いで、悟りということは如何なる場合にも平気で生きていることであった」

余命6ヶ月といった場合でも、6か月後の死を享受するのではなくて、6か月間を生きることを悟ることが大切であると思います。よく、「がんでもあきらめない」という言われ方をしますが、「“治療に勝ってがんを根治する」ことをあきらめないのではなく、「 豊かに生きることをあきらめない 」ことが大切だと思います。Aさん夫妻も、時にはぶつかりながら医師とコミュニケーションをとり続けることによって、納得のいくあきらめない治療を続けられたと思います。医師とのコミュニケーションをためらっていたら、同じ展開にはならなかったかもしれません。辛い時ほど頼りになるのが医師です。コミュニケーションをためらわず、医師と二人三脚で希望を見いだしましょう。

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